「五条坂の酒見のおじいさんに母がお世話になっていました」
こう話した瞬間、老いた窯元の主人は表情を変えた。
宇治市炭山、かつて五条坂近辺にあった窯元が肩を寄せ合うように集団で越してきた場所。三室戸寺であじさいをみた後に訪れた携帯の電波も届かない里山の合間だった。
「うれるものが変わってしまってね、あなたが欲しいようなものは今では作っていないんだよ。酒見のじいさんとやっていたときは、驚かせてやろうという気概でおもしろいものを作っていたんだけれどね、せっかく来てもらったのに申し訳ないねぇ」と
言いながら現在の製品をみせてくれた。たしかに我が家にたくさんある、繊細でシャープな作風のものはほとんどなく、ちょっと厚めの廉価なものばかりだった。
「昔みたいに、いいものがわかる中間業者がいなくなってしまってね、開口一番に”いくらまかるんか?”だけしか言わないのさ。
デパートもダメだ。酒見のじいさんにしろ、使い手の気持ちを伝えてくれる目利きがいなくなってから、ぜんぜんいいものが無くなった。作っても売れないんだ。中国の安物に押されてね。」

「どういうものを見に来たんだい?」といわれ、持参した珍味入れを取り出した。これと同じレベルのものが欲しいと伝えると「これはすごい品物だね、土は伊万里かな。非常に薄い造りになってて、もう私には作れないよ。眼が悪くなってしまったんだ。こういうのは音で削っていくんだ。
削っていくと”シャリシャリ”が”シャシャシャ”に変わって、音が高くなる。それで気を抜くとぐしゃっといってしまう。この技術は息子に伝えたから、あとで息子と話してくれ」

「息子は芸大にいって、大学院を卒業すれば先生になれるというので帰ってくるのを渋っていたんだ。でも国家公務員じゃなくなるだろ?だいたい、入試なんかも教授が受験生の親を個展に呼んで、買ったものの裏に子供の名前を書かせてそれで100万200万だよ。つまり裏口入学さ。ばかばかしい。だから息子を呼び戻して、裏に息子の窯をつくってやるといったんだ。それで、技術を伝えようと思ってる。こういうのは一緒に仕事をしないと伝わらないんだ。このあいだ、若手に10時間で技術伝承の講座をやってくれといわれたけど、そんなのじゃ伝わらないよ。どうしてドイツのマイスター制度みたいなのをやらないんだ。一緒に並んで仕事をしながら、たくさん話しをしなければ伝わらないよ。」
「酒見のじいさんの所に集金に行こうとすると「今来るな、もっと遅くにこい」というんだ。5時頃にいくと、そのまま飲みにいこうと言う。朝の5時まで飲んでいて「ほな、わしはかえって寝るから若いお前は仕事せい。金はちゃんと腹巻きに入れてなくさんようにせいよ」っていうんや。ひどいはなしで、俺は仕事しろっていうんだ、徹夜で飲んでたのに。こんな昔話もあるよ。」
僕が足の踏み場もないほど器が並んでいた酒見の店で、親がじいさんと話している間に中庭を眺めていた話しをすると「そうそう、中庭のつくばいがあっていい庭だったねぇ」と懐かしんでいた。
「昔はね、僕の若い頃は正月前に鏡餅をもっていくんだ。そうするとお店から包みをわたされる。どうやら中に正月を越すための金がはいっているようで、こうやって職人を助けてくれてたんだね。昔の店との付き合いというのは。この金をもって遊びにいったりしたら、大変なことになってたよ。今思えば、資金援助だったんだね。」
「もしかしたらいいのがあるかもしれないから、倉庫を見せてあげよう」と連れて行かれたのは、電気釜のある建物。ろくろ台が並んでいた。「バブル前までは14人の従業員がいたんだけど、いまは息子と数人しかいない。うーん、全然ないなぁ。そうだ、皇太子の京都訪問の際の湯のみがあったはずだ。」

「あった、これだ。宮内庁から滞在した旅館などに配るものだから、最上の仕上がりにはしていないからちょっと厚い。あなたのお母さんの眼鏡にかなうのは、これくらいしかないね。」
「これは皇太子さんと雅子さんが京都にくるときに註文されたものなんだけど、赤ちゃんができて中止になったんだ。それで宮内庁に「どうしてくれんのや、売るで」といったら「売るのはまかりならん」というのよ。
寝かしておく訳にも割る訳にもいかんて、どうしろというんや。それでここに置いておいたら、ここに来た古い知り合いが「これええなぁ、もらってくで」っていってもっていくから、のこってるのはこれだけ(4つ)。薄いいいやつを持っていきなさい」といって、2つを渡してくれた。
「これをつくるのも、材料が大変で、天草の土をつかったんだけど、いちばん良い土は便器屋(TOTO)がもってるんだ。山ごともってるからね。それで頭さげて貰いにいくのさ。」
「あと、ここにあるのは昔つくったもののサンプルさ。」(写真)
雪月花という薄手の茶碗がいまの一番上等なものだという。「このなかから一番いいのを選んでもっていきなさい」と選ばせてくれた。「せっかく来てもらったのにすまないねぇ」といいながら話していると、息子さんがやってきた。「おお、良く来た。これが息子で、煎茶をやってる。ちょっとお前の作品をもってきなさい」といって煎茶道具をもってきてもらうことになった。

茶器は煎茶のしきたりにそったもので、中国茶勝手流の僕の使い方には合わない。「この口のところが反っていて薄いのがくちあたりいいんです。」というと「そうですか、湯のみですが、こちらはどうですか?」と持ってきた薄手の茶碗。「この形で、2回り小さくて背が低いのがいい」というと「もしかしてオリジナルをご存知ですか?」という。みせて戴いたオリジナルは背が低く、安定感のあるものだった。ちょっと違うのだが、新しい方は註文で高くなったもので、本人も低い方が好みらしい。僕の意見は、側面は垂直に近くて持ちやすく、ふちは反っていて口にやわらかく接する事、羽のように軽い事。そんなやりとりを父は微笑みながら見ていた。
せっかくですから、サンプルをみていただけませんか?というと、父は「それがええ」といって、
工房に戻る事になった。そして取り出した珍味入れを見せる。息子氏はうなりをあげた。
「これは、、、すごい仕事だなぁ。昔の人は仕事に厳しかったんだなぁ。」「この口の切り欠きも考えて作ってあるよ」「もしかしたらガラスケースの中で見た事があるかもしれない」「これはうちのより薄いですよ、さらに全部手描きの模様だし。すごいなぁ」「絲尻も、切り方が違うんですよ。厚さも場所によって変えてあって、下は厚い。」
30年前に入手したもので、今では手に入らないので接いでつかっていることを伝えた。あまりお金がないので10個作ってほしい、切り欠きはなくてもいい。
10分ほど眺めて「できるかなぁ、自信ないなぁ」という息子氏に父は「おまえの実力ならできる、やらせてもらいなさい。」というやりとりを何度も繰り返した。技術を絶やさないように努力する親子の姿に、大きく感動を覚えた。
工房をちらりと見ると、見覚えのある器のでかいのがある。「これの小さいの、実家にあります。」「いつ買ったんだい?」「わかりません、物心がついたときにはもう家にありました。」「金箔は、剥がれていないか?」「はがれてません。毎日使ってますよ。」「これは、私が30代のころに、酒見さんと一緒につくったんだ。この大きいのが大本で、小さいのを後から作った。大きいのはあるかい?」「ありません」

「さっきもいったけれども、この仕事は使い手と作り手がいっしょになって作る物なんです。だからこういう仕事を持ってきてもらえるのがとても嬉しい。酒見のじいさんがなくなって十何年ぶりだ。芦屋の婦人がいちどだけ、地震で割れた食器を、自分が死ぬまで使う分だけ買い足しにきたことがあったけれどもそれいらいだ。」
「だから、あなたの知り合いをあつめて、いいものを註文しにきてほしい。自分も80だから、引退するまで時間がない。お母さんも連れてきておくれ。でも、早めに連絡してほしい。いまは良い物をつくっていないから、突然来られても恥ずかしい。でも酒見のじいさんの昔話をしたいね。」
息子氏との約束は、珍味入れ10個。サンプルは置いていく。納期はなしで、出来たとき次第ということになった。