懸空寺

2日目に、タクシーを一日チャーターして郊外にある名所をめぐりました。1日で280元でした。バスで移動するのは大変なので、タクシーをチャーターすることをお勧めします。

懸空寺は、 私が北京で最初に使った中国語の教科書にも出てくる有名な?お寺。教科書に出てくるというだけなので、詳しいことはわかりません(笑)

断崖にへばりついて建てられた寺。鳥取の国宝投入堂をさらに大規模にした感じです。谷底までは40mほどの高度差があります。

実は、この下の岩に「壮観」と書かれています。「なんだよ、この壮観って字は。子供がレーシングカーに”かっこいい”と書くみたいで興醒めじゃないか」と罵っていたのですが、実はこれを書いた本人は李白でした。私の中で、李白は文豪の地位から谷底に転げ落ちました。岩に掘り込んだのは後の人で、彼の責任ではないと思うのですが、名所にふさわしからず、あんまりです。

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下の柱は、後に追加された飾りだそうで、実際には重力的に支えているわけではなさそうです。中国人観光客が揺らして遊んでいました。

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こんな感じで、基礎は横の岩にあります。

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20cm程度の柱を穴に入れ、楔をつかって固定してあります。未使用の穴を観察した限りでは、穴の奥行きは25cmから30cmで、そんなに深くありません。

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中に祭られているのは 仏教と道教です。

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なかなかの高度感です。大工は生きた心地がしなかったと思います。

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ここにはかつて関所があったそうです。対岸の壁には、桟道の基礎として穿たれた穴があいていました。懸空寺と同じように、木の柱を岩に打ち込んで、断崖に路を作っていたようです。

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最期の晩餐 川弁餐庁

北京での勉強を終えて帰国していく多くの友達を見送ってきた私も、ついに見送られてしまう番になりました。ものすごく寂しい。すこし不便とはいえ、実際の自宅があるのは北京ですから。

私の最期の晩餐は、 私のもっとも愛する四川料理、北京で一番おいしい四川省人民政府直営の川弁餐庁です。参加者は、元同僚の池ちゃん一家、AさんYさん、私でした。池ちゃんの子供が大きくなってて、1年経ったんだなあと思います。私の中国語も進歩して、池ちゃんの奥さんと話すのもほぼ問題ありません。

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料理は、麻婆豆腐 回鍋肉 キャベツ炒め 青菜いため 辣子鶏など、いたって普通の料理。

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これは、私の狙っていた高級スープ。老鶏湯です。一般的な若鶏ではなく、肉の硬い老鶏を使ってます。このスープは深い味わいで、激うまでした。@88元。

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そして、激うま 汁なし担担麺。この麺って、乾麺なのかなあ、小麦の味わいがたまりません。。。

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みんな、ありがとう。。。。

大同の九龍壁、五龍壁、三龍壁

大同の九龍壁は、北京の故宮の規模を凌駕して中国最大だそうです。大同はもともと北魏の都。騎馬民族 突厥の都でありますが、文化的には仏教を取り入れて漢族の文化も吸収し、このような文化遺産が残っています。

これは大同の町の中心部にある、九龍壁。

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壁の横には、太陽と月の紋章があります。

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五龍壁は町の中にありますが、タクシーで夜に通過したので写真は撮れませんでした。

三龍壁は二箇所あります。一箇所は、南の城壁そばにある善化寺境内。ここの龍は、目がぎょろっとしています。

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もうひとつは、雲岡石窟に行く途中にある観音堂。

こちらも、横にはちゃんと太陽と月がありました。

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大陸鉄道の旅 山西を往く

もともと、北京から山西に向かう街道の山一つ向こうは、モンゴルでした。モンゴル軍との長い戦いの歴史がこの路沿いに掘り込まれています。今回は昼間の列車を選択しました。行きは硬座、帰りは硬臥です。

硬座の車内は、こんな感じ。打工(出稼ぎ労働)のおじさんたちが、ふとんをズタ袋に入れて上の棚を占拠してしまいます。

臥鋪(寝台)では、きっぷの検査があって、こんな票と交換します。下車前にきっぷを返してくれます。

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客車はディーゼルですが、貨車は電化されています。こんな重連の機関車が牽引しています。

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長編成の貨物列車は、途中に機関車をはさむような変則的なプッシュプル構成になっていたりします。この貨物列車長かった、おそらく1kmは余裕で超えていたと思います。

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ボギー車の連結部

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山西省の古い村の建物

黄土高原の家は、地面を穿つように作られていると聞いていました。西安にいったときにはそのまんまのものがありましたが、こちら山西ではすこし様子が違います。

狼煙台のある村に来ました。

壁は日干しのレンガみたいです。

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左側の家は、三方を日干し煉瓦でかため、天井に板を張った伝統建築のようです。

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冷たい風をよけるためか、しっかりと家を壁で囲っています。

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入り口のアーチがみえるでしょうか?こんな感じが山西の伝統的な農家の建築様式です。

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モンゴル辺境の防衛線

今回の旅で印象に残ったのは、モンゴルとの戦争の遺跡でした。匈奴軍の侵攻に備え、中国は大規模な防衛線を北京ー大同の間に張りましたが、なにしろ400kmもある長い防衛線です。何度も防衛線を突破されています。

この防衛線の遺跡を見ると、歴史の本を見ていた中学生時代を思い出してしまいます。

高台に築かれた狼煙台 数キロおきに存在します。

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駅亭の跡です。駅亭とは、街道沿いに10里(4km程度)おきに設置された、馬の交換所。早馬はここで馬を交換しながら走ります。また、旅人もここで休憩をします。この駅亭跡はかなり大型の防御機能を持った城塞になっていて、一辺は500mほどありました。中は、村になっています。小さいものは、100mほどの大きさです。

馬車が歩く、昔の風景そのままの景色に大きく感動してしまいました。

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