孔廟の隣には、孔子一族の家があります。これが大きい。どのくらいおおきいかというと、おそらく小学校4つ分くらいの敷地だと思います。まさにお城です。これが町の中心にあり、ここ曲阜が孔子を君主とする町であったことがわかります。
この黒門は、特別なとき(孔子の一族の長や皇帝が通る)だけにあけられる儀礼的な門だそうです。たしか文官は右から、武官は左からまわりこんで通過するといっていました。中国らしく、太鼓の门墩mendunがあります。
それぞれ、一の院、二の院(裁判所)、三の院(皇帝が泊まる場所)からおくは6,7層まであったはずです。手前は仕事の部屋で、奥のほうは、孔子一族の住居です。
現在、台湾に逃げた孔子一族の結婚式の際、蒋介石からおくられたソファとじゅうたんが展示されています。ちょうど西安事変の際で蒋介石は結婚式に出られなかったものの、贈り物は届いたそうです。
棗の木の新緑があざやかでした。とても気持ちのいいところです。この町自体は、文明の香りがしない中国の地方都市なのですが。。。。
おばけのように大きくなった蔓植物がありました、名前は失念。