素敵な湯のみ

宣化の戦利品です。素敵なフォルムで、薄手の非常に軽い逸品です。青磁の釉薬がかかっています。

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光をかざすと透けて見えます。ここまで薄く出来るのは、土の質がいいのと、熟練工が削っているから。いったい、何のために作られた茶碗でしょうか。すくなくとも普通の茶碗には見えません。

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724と、数字が入ってるあたりが共産中国っぽいです。すこしは色気を出せばいいんだけど、当時の価値観ですからね。裏さえ見なければ、一級品です。

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おまけ、秋の雰囲気の筆立て。これは民国のものだそうですが、風合いと手書きの絵が実に素敵です。

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宣化の街

もともと、この街は北京の北を守る街として、かなりの規模の城壁がある城塞都市だったようです。いまでは、くずれた城壁と、鐘楼 鼓楼が残るのみ。駅に降り立った瞬間、「あ、これ、長居は無用かも」と思いました。早速タクシーで鼓楼に向かいます。

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楼の下の道には、昔の馬車のわだちがのこっています。

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この露天の果物や、いい味です。

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こんな景色も、すぐなくなってしまうでしょう。

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鼓楼の下は骨董やになってました。ここで湯のみを購入。おそらく40年位前のもので、薄手の青磁です。スタイルは良いし、素材もいい。裏にアラビア数字が入っているのが、いかにも中国の最近のものらしいです。今度紹介します。

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そして、門敦mendunが店の前に転がってたり

狛犬がいたり

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この龍の石版、なかなか良かったです。お店の装飾なんかにつかえそう。

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この骨董やの、知り合いの骨董やに連行されました。紹介されたのは遼の時代の壺など。国外持ち出し禁止の時代です。「これ、近所の遼代の墓から出土したからほんものだよ。国内では問題なく流通してる」と言い張る店主に、「乾隆帝以前のものの国外持ち出しはダメなんだって」と説得するのが大変でした。遼代の壺は、雲南の焼き物にそっくり。民芸品という感じで、神様が宿るような感じはありませんでした。なので、ほしいとも思わず。ここでは民国時代の筆立てをゲット。なかなかわびていて、花活けにちょうど良い出来です。

最後に、南門を見て帰ります。さすがにおみやげの焼き物を壊したくなかったので、バスで帰りました。列車の切符は棄ててしまいました。55元。ところが、このマイクロバスがなぜか私の家のすぐそばを通ってくれたので、そのまま下車、らくちんで家に戻れました。瓢箪から駒です。

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この街、あまりお勧めしません、骨董は地方都市に限ります。なかなか良かったのですが、アクセスが悪くて、見所が少ない。。。ひまのある留学生向けの場所でしょう。一眼レフをもっていきましたが、あまり気合が入らずコンデジだけで済ましてしまいました。

さて、次回は鶏鳴駅を攻めてみたいと思います。北京近郊で一番状態のいい城砦が残っていて、全国唯一の現存大型古駅(馬などの乗り継ぎ宿場町)、よく撮影にも使われるそうです。A女史、こっちは参加しません?

北京近郊乗り鉄の旅 京包鉄路編

とつぜん、昨日思いついてしまった旅行。鉄道マニアのA女史にはあっさり断られてしまい、しかし発作は収まらず、とつぜん軟臥(一等寝台)の切符を買ってしまいました。

朝8:50の列車なので、6時半におきて7時前に出発です。今日は土曜で交通渋滞もなく、バスは40分で北京西駅へ。

ところが、ここでいきなり列車が1.5時間遅れます。機材の到着が遅れたみたいです。長距離列車の折り返しは信用できませんね。5元払って、有料待合室で時間をつぶしました。極楽(ちょっと贅沢)

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一両だけの軟臥の隣は食堂車です。出発早々、いきなり乗務員の食堂と化していました。私は、せっかく布団があるのに通路のいすに座ってひたすら外を眺めます。

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盧溝橋の上流です。この河に水があるのは珍しい。。。夏は北京の雨季です。

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列車は山あいに入ります。ここは以前訪れた爨底下村や霊水村などに続く道です。前は殺風景でしたが、この時期は緑に覆われています。大峡谷の雰囲気です。

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すいか@3元。おいしい。

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山間のローカル駅を抜けていきます。高度をどんどんあげていきます。モンゴルに続く平原に出ました。

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少し横になってうとうとしていたら、つきました。時間は1.5時間おくれ。3時間滞在の予定だったのですが、最初計画してた列車にはのれません。

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さらに、すぐに切符売り場にいったら「座席は、全部無い。」とあっさり言われました。ほんとかよー。さすがに立ち席は嫌なのですが、とりあえず1列車だけ売っていた無席の切符を27元で購入。かなり嫌になりました。

旅に出たくなりました

部屋に居ても、日本のWebを読んでいるだけ。。。これではいけません。ちょっと学校にいったら、インドネシア人同学がいました。彼女は内蒙古に行きたいそうです。大同-内蒙古はパックツアーでセットになってるので、これはいいかんじです。ただ、中国のツアーって、すごく評判わるい。。。時間もかかるので、片付けのことを考えれば時間ぎりぎりです。ま、北京はすぐこれるので、お土産のことは次回に回す手もありますが。。。

あとは、 宣化という、北京から近い街。古い景色が残っているところだそうです。

実は、北京の西の山の中のすごい景色を走る鉄道があるのですが、ようやく適当な時間の列車見つけました。現地着18時といういい感じ。帰りはバスでかえってくれば簡単だし、1泊2日の旅です。

ちょっと迷っています。

そして、いきなり明日の切符を買ってしまいました。あさ9時前の列車で宣化にでかけて、15時すぎの列車でもどって来る予定。むこうでは3時間しかないのですが、どうやら鐘楼がのこってるだけみたいなので、充分でしょう。もしかしたら一泊して、もう一箇所、宿題になってる「鶏鳴駅」をはしごするかもしれません。とはいえ、日帰り2回やっても同じだなあ。というわけで日帰りにします。第二回のときに、同行者もとむw

北京の物流とは何かを学ぶ

西安旅行で作った陶器がようやく届きました。きっかけは一本の電話。

「あー、わんさん?」

「ああ、わんですが」(私の姓の中国語読みは、女性の名前と誤解されるので、最近は王さんを名乗ってます。

「ほげほげほげ・・・・・・」

「ちょっとまって、いったいなに?」

「荷物が届いたから、引取りに来て。場所は豊台区の(以下不明)」

「ごめんなさい、外国人だから聞き取れない、ゆっくりお願いします。ちなみに名前は**です。」

「そーか、日本人か、だから4文字なのか。場所は豊台区のxingfadi、南4環の外」

「なにー、んなとこまで取りに行かなきゃならんの?」

「あんた、どこ住んでんの?」

「海淀の五道口」

「ああ、遠いねえ。旨く通じないから、北京をよくしってる現地の人に電話かわってもらって、もう一回電話しなさい」

「はあ。。。」

というわけで、中国人の友人にお願いして再度電話してもらいました。やはり場所は正しかった模様。こまかい住所などを聞いて、日を改めてとりに行くことにしました。ここまでが日曜の話。

だいたい、住所までしっかり書いたのに、郵便じゃなくてふつうの運送会社、それも配達なしですか(涙) 学校から現地まで20km、軽く2時間はかかる場所です。

で、バスにのりついで、最後に三輪車までのっかって、行ってきましたよ新発地。北京の南にある流通センター的なところだそうです。付近は市場などが集まっていて、日本でいえば都市のはずれの工業流通地帯というところです。

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この世の果てにある感じの殺伐っぷりです。治安的には最悪ではありませんが、女の子一人でいくようなところではありません。

ようやく見つかった運送会社。荷物は全部露天に積んであるので、雨の前に引き取れるかが勝負です。

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図らずも、中国ビジネスの良い勉強をすることができました。

で、できあがったのがこの茶碗。この背の高さはありえない。。。できが悪すぎです(笑) 職人のおじさんがきれいに修正してくれたので、非常に綺麗になりましたが、もとのバランスの悪さはなんともしがたく。

当初目的の抹茶茶碗としては使えそうにないので、酢の物でも入れて使うことにします。

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同学の日本人女性が作ったほうは、残念ながら輸送中に割れてしまいましたが、接ぐ価値のあるくらい綺麗にできていました。良い思い出の品ができました。

正定 趙雲子龍の里と常山戦鼓 

兄が中国の列車未体験だったため、列車の旅を企画することになりました。270km離れた石家荘まで列車で行き、正定の古城を見る計画です。正定は三国志の趙雲子龍のふるさとです。

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最初はバスで行く予定だったのですが、なんか時間がかかりそうだったので、途中でタクシーに乗り換えました。タクシーのおにいちゃんはよさげな人だったので、チャーターを持ちかけてみたら、200元ということなのでお願いしました。微妙に高いかもしれませんが、これがあとで非常に良い結果になりました。

運ちゃんは、高速を使わずに裏道を突破して正定に向かいます。ふつうの距離は15kmだそうですが、裏道だと非常に早く着きました。河川敷の泥道を抜けたりして、途中には闇の料金所がありました(笑)

華北の雨季は7、8月だそうです。小さなダムでは親子連れが水遊びに興じています。ここは橋なのですが、いまは半分沈んでいます(笑)

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そして、とつぜん城壁があらわれました。城壁はレンガが住民に持ち去られて土の土手になっていますが、門の部分だけは再建されています。ちょうどテレビ局がやってきて、「常山戦鼓」の撮影をしていました。タクシーで来てラッキーでした。

この段階で兄は「これが本物の”ジャーンジャーンジャーン”(三国志の銅鑼の擬音)だ!」と相当盛り上がっています。中国語の説明はこちら。

ちょっと訳すと 以下のようになります。

三国志の描写の中にある「空城の計」において司馬懿忠達を脅して退けた。しかしこの町に伝わる民間伝説「趙雲別伝」によれば「空城の計」の主役はほかでもなく趙雲子龍将軍である。彼は将兵による天地を揺るがす戦鼓の音によって司馬懿忠達の十万の兵を退けた。もともと趙雲の青少年時代に父と親戚一同で太鼓を楽しみ、劉備に馳せ参じて将軍となった後は常山戦鼓を兵士たちに授けた。戦場で威勢をあげて敵を倒すのに都合がよく、これをもって軍の威勢を示した。司馬懿が十万の大軍をもって城下に迫ったとき、城門が開け放たれたのを見て伏兵がいると誤解した。司馬懿がちょうど攻めるか否かを迷っているときに、趙雲の軍勢は突然耳をつんざくばかりの戦鼓を叩いた。この音はあたかも川や海をひっくり返す勢いで、また雷が轟くような勢いだった。司馬懿は驚き色を失い、あわてて軍勢を退却させる命令を出した。趙雲はさらに人馬を率いて戦鼓の響く中を突撃し、一気に曹操軍を数十里に渡って追撃した。司馬懿の十万の軍勢は武器甲冑をうち棄ててほうほうの体で逃げ出した。これがまさに常山趙雲子龍の英雄たる真骨頂であり、戦鼓をもちいて曹操軍を撃退した知略である。

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動画で皆様に紹介です。ここをクリック> http://www.youtube.com/v/VOMMmGUy-nM

城内に入ると、昔風の町並みがありました。これは素敵。見る価値があります。この町でドラマ「紅楼夢」の撮影が行われたみたいです。ところが、ここで豪雨に見舞われました。我々はタクシーに乗ってて、さらにかさもあるので問題ありません。imgp5543.jpg

隆興寺というお寺にきました。河北の4つの宝のひとつ、高さ22mの銅製の菩薩像があります。ここは曲阜の孔子廟にも匹敵する規模の大きなお寺です。大変見事なものでした。

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次は本題の趙雲廟です。馬で坂を駆け下りる趙雲将軍がお出迎えです。ここは規模は小さいですが、三国志ファンにはお約束ですね。日本人はほとんどこないみたいです。

ここには80斤(40kg)の槍が展示してあります。趙雲が使ったといわれる重さと同じみたいです。とても持ち上がりませんでした(苦笑)

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そのあと、城内にある仏閣などを参観します。これは開元寺の塔。いまでは本堂はなくなっており(文革?)、鐘と塔が残っています。なかなか見ごたえのある塔です。

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これは天寧寺凌宵塔 唐の時代の建物で、高さ42mあり、上まで登れます。中は真っ暗で、ライトを借りて上ります。兄は大満足だったようです。

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そして帰りは困ったことに、列車の切符の手配が出来ませんでした。朝到着すぐに切符売り場にならんだものの、手に入ったのは「無席」という立ち乗り。図らずも人民ツアーの恐ろしさを兄に知らしめることになりました。北京まで3時間、ぎちぎちの列車で旅行です。さらに乗客のマナーも最悪。疲れた。。。。

滄州鉄獅子を見に行く

北京から1日で行くには微妙だと思っていたのですが、滄州鉄獅子を見に行くことになりました。

発音を習っている滄州出身の女の子に尋ねたところ

「なんかおもしろいところある?」

「たぶん、ない」

ということでした。行ってみたら、ほんとうにありませんでした。

北京の南 趙公口の長距離バス停(まず、ここにいくのが大変)から、240km離れた滄州に向かいます。バスは清潔で快適でしたが、クーラーが死ぬほど効いてました。

滄州では、タクシーを3時間ほどチャーターして80元。値切ればもっと安いかもしれませんが、それほど暴利でもないので20kmはなれた鉄獅子に向かいます。幹線道路ぞい、旧州というバス停のある 東関というエリアです。

途中には、石油関係の会社の社宅や採掘の油田が見えます。そういえば先の女の子の両親は石油の仕事をしているそうです。渤海油田?

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鉄獅子の展示場所につきました。旧城内で、いまは完全な農村です。

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なかなか、でかいです。どっかの漫画の景色とほぼ同じですが、さすがに暇そうなおじさんたちはたむろしていません(笑)

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すでに1000年が経過しているため、錆びて腐って抜け落ちている部分があります。

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歴史資料館が併設されています。この鉄獅子は、旧城エリアが畑になってしまってから、畑の中に取り残され、何度も水害で水没したり、強風で倒れたりしているそうです。数十年も倒れたままのときもあったとか。いまでは高台に乗せていますが、過去の写真をみると一段低い場所にあります。

そして、武術の里らしく武術の名人たちの資料館と、武器展示室です。

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馬鹿写真を撮ってみました(笑)

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このおしろ、丸い城壁だったみたいです。中国の城というと四角というイメージがありましたが、固定観念が崩れました。

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このあと、5元のイスラム風ラーメンをたべて、天津経由で帰りました。

北京南西の十渡

明日から旅行だというのに、性懲りも無く日帰りバス旅行です。今回はちょっと贅沢に観光バスにのりました。学割で65元。十渡までは2時間以上かかります。

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超、俗化されてました。なにこれ(涙) バンジージャンプまであります。

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50元以上払って上った上からの景色は、なかなかきれいではありました。しかし、今回は超ハズレでした。がっくし。
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周口店の北京原人洞窟

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十渡のツアーにパックになっていたので、ついでにいってきました。これだけ目的で行くことはありえないでしょう。

博物館は、とおり一辺倒な内容です。そして北京原人が暮らしていた洞窟の入り口はこんなかんじ。中も自由に歩けますが、たんなる石の洞窟です。

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一番気に入ったのは、このローカル駅の景色でした。
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