兄が中国の列車未体験だったため、列車の旅を企画することになりました。270km離れた石家荘まで列車で行き、正定の古城を見る計画です。正定は三国志の趙雲子龍のふるさとです。
最初はバスで行く予定だったのですが、なんか時間がかかりそうだったので、途中でタクシーに乗り換えました。タクシーのおにいちゃんはよさげな人だったので、チャーターを持ちかけてみたら、200元ということなのでお願いしました。微妙に高いかもしれませんが、これがあとで非常に良い結果になりました。
運ちゃんは、高速を使わずに裏道を突破して正定に向かいます。ふつうの距離は15kmだそうですが、裏道だと非常に早く着きました。河川敷の泥道を抜けたりして、途中には闇の料金所がありました(笑)
華北の雨季は7、8月だそうです。小さなダムでは親子連れが水遊びに興じています。ここは橋なのですが、いまは半分沈んでいます(笑)
そして、とつぜん城壁があらわれました。城壁はレンガが住民に持ち去られて土の土手になっていますが、門の部分だけは再建されています。ちょうどテレビ局がやってきて、「常山戦鼓」の撮影をしていました。タクシーで来てラッキーでした。
この段階で兄は「これが本物の”ジャーンジャーンジャーン”(三国志の銅鑼の擬音)だ!」と相当盛り上がっています。中国語の説明はこちら。
ちょっと訳すと 以下のようになります。
三国志の描写の中にある「空城の計」において司馬懿忠達を脅して退けた。しかしこの町に伝わる民間伝説「趙雲別伝」によれば「空城の計」の主役はほかでもなく趙雲子龍将軍である。彼は将兵による天地を揺るがす戦鼓の音によって司馬懿忠達の十万の兵を退けた。もともと趙雲の青少年時代に父と親戚一同で太鼓を楽しみ、劉備に馳せ参じて将軍となった後は常山戦鼓を兵士たちに授けた。戦場で威勢をあげて敵を倒すのに都合がよく、これをもって軍の威勢を示した。司馬懿が十万の大軍をもって城下に迫ったとき、城門が開け放たれたのを見て伏兵がいると誤解した。司馬懿がちょうど攻めるか否かを迷っているときに、趙雲の軍勢は突然耳をつんざくばかりの戦鼓を叩いた。この音はあたかも川や海をひっくり返す勢いで、また雷が轟くような勢いだった。司馬懿は驚き色を失い、あわてて軍勢を退却させる命令を出した。趙雲はさらに人馬を率いて戦鼓の響く中を突撃し、一気に曹操軍を数十里に渡って追撃した。司馬懿の十万の軍勢は武器甲冑をうち棄ててほうほうの体で逃げ出した。これがまさに常山趙雲子龍の英雄たる真骨頂であり、戦鼓をもちいて曹操軍を撃退した知略である。
動画で皆様に紹介です。ここをクリック> http://www.youtube.com/v/VOMMmGUy-nM
城内に入ると、昔風の町並みがありました。これは素敵。見る価値があります。この町でドラマ「紅楼夢」の撮影が行われたみたいです。ところが、ここで豪雨に見舞われました。我々はタクシーに乗ってて、さらにかさもあるので問題ありません。
隆興寺というお寺にきました。河北の4つの宝のひとつ、高さ22mの銅製の菩薩像があります。ここは曲阜の孔子廟にも匹敵する規模の大きなお寺です。大変見事なものでした。
次は本題の趙雲廟です。馬で坂を駆け下りる趙雲将軍がお出迎えです。ここは規模は小さいですが、三国志ファンにはお約束ですね。日本人はほとんどこないみたいです。
ここには80斤(40kg)の槍が展示してあります。趙雲が使ったといわれる重さと同じみたいです。とても持ち上がりませんでした(苦笑)
そのあと、城内にある仏閣などを参観します。これは開元寺の塔。いまでは本堂はなくなっており(文革?)、鐘と塔が残っています。なかなか見ごたえのある塔です。
これは天寧寺凌宵塔 唐の時代の建物で、高さ42mあり、上まで登れます。中は真っ暗で、ライトを借りて上ります。兄は大満足だったようです。
そして帰りは困ったことに、列車の切符の手配が出来ませんでした。朝到着すぐに切符売り場にならんだものの、手に入ったのは「無席」という立ち乗り。図らずも人民ツアーの恐ろしさを兄に知らしめることになりました。北京まで3時間、ぎちぎちの列車で旅行です。さらに乗客のマナーも最悪。疲れた。。。。