大同の中心部にやってきました。鼓楼の東側には、まだ古い一角が残っています。ごみだらけでとても汚いのですが、これが映画などで見る戦前の中国の景色なのかなと思いました。
北京の民家と同じようなつくりの門があります。
この装飾はなんでしょうか。
こちらはかなり立派な家です。
扉の取っ手もがっしりしています。
壁には石を彫った彫刻が。中は雑居の民家ですが、おそらく以前は相当なお金持ちの家だったのでしょう。
柱の土台の装飾も素敵です。
2006-2007に北京で暮らしていました
大同の中心部にやってきました。鼓楼の東側には、まだ古い一角が残っています。ごみだらけでとても汚いのですが、これが映画などで見る戦前の中国の景色なのかなと思いました。
北京の民家と同じようなつくりの門があります。
この装飾はなんでしょうか。
こちらはかなり立派な家です。
扉の取っ手もがっしりしています。
壁には石を彫った彫刻が。中は雑居の民家ですが、おそらく以前は相当なお金持ちの家だったのでしょう。
柱の土台の装飾も素敵です。
大同最大の観光名所は、雲岡石窟です。ここは言葉にならない場所でした。一生分の仏像と出会うことができました。
大同の仏様の特徴は、顔が優しいことだと思いました。参観後に町で見かけた赤ん坊の顔を見て、「あ、ここの仏像の顔は赤ん坊の顔に似てるな」と感じました。
大同あたりは黄土高原の端にあります。
黄土高原は、岩盤の上に黄色い砂が乗っているだけなので、水の力で簡単に谷が穿たれます。
こんな場所を移動するのは、大変だなあと思いました。進んでいたら突然崖が現れるわけですから。
中国の旅で困るのは きっぷの手配です。
今回も到着後に早速切符売り場に並んだのですが、「無」の無常な字が並びます。
今回、なんとか昼間のきっぷがかろうじて残っていました。たすかりました。ダメならバスで帰らなければ行けませんでした。
切符売りのおばちゃんも、基本的に喧嘩腰なので刺したくなります。
旅と言えば飯です。観光・飯・睡眠の3つがそろって、はじめて良い旅です。この3つの要素は絶対にはずせません。
でも、この大同は食事の面ではとっても微妙です。中国ローカルグルメサイトで調べて、ようやく引っかかったのがここでした。
工場みたいな、超きったない建物です。
中は、そのまんま工場に汚い机を並べただけでした(苦笑)
まずは入り口付近で麺(大小)、トッピング(玉子 肉など)のチケット(アルミ板)を買います。わかんないから うんうんといってたら 全部入りになってしまいました。
この鍋のところで、 麺を先にうけとります。 ゆでる女の子と、麺をけずる女の子がいました。
右側のトッピング台にいって、チケットを渡して 豆腐やら肉やら玉子やら、謎のトッピングをたくさんのっけてもらいます。
そして、これが「全部いり7.5元」です。恐ろしいことに、麺の太さ幅が完全にそろっています。恐ろしいできばえです。味も大変よろしく、完食してしまいました。
ところが、夜に体調が急降下。冷房がすごく効いてる部屋のせいだとおもったのですが、もしかして化学調味料のせいでしょうか。
中国には五山とよばれる有名な山があります。泰山、黄山などなどです。ここは北嶽と呼ばれる恒山です。
しかしここ、とにかく金金金でいろいろ金をむしりとられます。タクシーの運ちゃんも、かなり頭にきているようでした。
駐車場からお寺まで、それほど距離もなさそうだったのでリフトには乗らずに歩くことにしました。運ちゃんは1.5時間といいましたが、実際にはゆっくり歩いて30分です。さらに道もしっかりと階段がついていて大変歩きやすかったです。
ハンショウヅル(クレマチスの仲間)が実をつけていて、秋の風に揺れていました。
よくわからない植物もあって、植物マニアも楽しめます。ただ、シダはゼロです。
どうやっても手の届かないところだけ、大きな木が残っています。大同付近から続く黄土高原は、人為的な影響で森林が荒地になってしまったそうです。
岩壁に張り付くように、伽藍が配置されています。
ちょうど、足元に素敵なマークがあったので、お約束のポーズをとってみました。
一番上のお堂にやってきました。
ここの、年老いた道士と話をしました。「留学生か、じゃ、石碑を見ていけ、この字は綺麗だろう」私の手帳を覗き込み「きみの書く字はなかなかのものだ」とほめてくれたりしました。実は下のお堂でだまされたのですが、この一番上のお堂では心が温まる思いをしました。
そんな心が温まる場所でしたが、「冬は最低気温 零下30度だ」と言っていました。標高1200mの町でも零下20ですから、標高1800mにある寺では当然でしょう。8月末ですが、すでにTシャツ一枚では肌寒い風が吹いていました。
下界の眺めも特に素敵でした。
2日目に、タクシーを一日チャーターして郊外にある名所をめぐりました。1日で280元でした。バスで移動するのは大変なので、タクシーをチャーターすることをお勧めします。
懸空寺は、 私が北京で最初に使った中国語の教科書にも出てくる有名な?お寺。教科書に出てくるというだけなので、詳しいことはわかりません(笑)
断崖にへばりついて建てられた寺。鳥取の国宝投入堂をさらに大規模にした感じです。谷底までは40mほどの高度差があります。
実は、この下の岩に「壮観」と書かれています。「なんだよ、この壮観って字は。子供がレーシングカーに”かっこいい”と書くみたいで興醒めじゃないか」と罵っていたのですが、実はこれを書いた本人は李白でした。私の中で、李白は文豪の地位から谷底に転げ落ちました。岩に掘り込んだのは後の人で、彼の責任ではないと思うのですが、名所にふさわしからず、あんまりです。
下の柱は、後に追加された飾りだそうで、実際には重力的に支えているわけではなさそうです。中国人観光客が揺らして遊んでいました。
こんな感じで、基礎は横の岩にあります。
20cm程度の柱を穴に入れ、楔をつかって固定してあります。未使用の穴を観察した限りでは、穴の奥行きは25cmから30cmで、そんなに深くありません。
中に祭られているのは 仏教と道教です。
なかなかの高度感です。大工は生きた心地がしなかったと思います。
ここにはかつて関所があったそうです。対岸の壁には、桟道の基礎として穿たれた穴があいていました。懸空寺と同じように、木の柱を岩に打ち込んで、断崖に路を作っていたようです。
大同の九龍壁は、北京の故宮の規模を凌駕して中国最大だそうです。大同はもともと北魏の都。騎馬民族 突厥の都でありますが、文化的には仏教を取り入れて漢族の文化も吸収し、このような文化遺産が残っています。
これは大同の町の中心部にある、九龍壁。
壁の横には、太陽と月の紋章があります。
五龍壁は町の中にありますが、タクシーで夜に通過したので写真は撮れませんでした。
三龍壁は二箇所あります。一箇所は、南の城壁そばにある善化寺境内。ここの龍は、目がぎょろっとしています。
もうひとつは、雲岡石窟に行く途中にある観音堂。
こちらも、横にはちゃんと太陽と月がありました。
もともと、北京から山西に向かう街道の山一つ向こうは、モンゴルでした。モンゴル軍との長い戦いの歴史がこの路沿いに掘り込まれています。今回は昼間の列車を選択しました。行きは硬座、帰りは硬臥です。
硬座の車内は、こんな感じ。打工(出稼ぎ労働)のおじさんたちが、ふとんをズタ袋に入れて上の棚を占拠してしまいます。
臥鋪(寝台)では、きっぷの検査があって、こんな票と交換します。下車前にきっぷを返してくれます。
客車はディーゼルですが、貨車は電化されています。こんな重連の機関車が牽引しています。
長編成の貨物列車は、途中に機関車をはさむような変則的なプッシュプル構成になっていたりします。この貨物列車長かった、おそらく1kmは余裕で超えていたと思います。
ボギー車の連結部
黄土高原の家は、地面を穿つように作られていると聞いていました。西安にいったときにはそのまんまのものがありましたが、こちら山西ではすこし様子が違います。
狼煙台のある村に来ました。
壁は日干しのレンガみたいです。
左側の家は、三方を日干し煉瓦でかため、天井に板を張った伝統建築のようです。
冷たい風をよけるためか、しっかりと家を壁で囲っています。
入り口のアーチがみえるでしょうか?こんな感じが山西の伝統的な農家の建築様式です。