ちょっと待ち合わせ時間があいたので、亮馬河のほとりにやってきました。ここは北京の東、あまり私の縁のないところ。
地元のおじさんたちが釣りに興じていました。微妙に暑いのですが、景色を見ていると少し涼しいと感じます。
ちなみに、いま北京はナンバー交通規制真っ最中。政府発表では、これが北京の晴天です。どこにも影がありません。誰が信じますか、こんなばかげた話。
2006-2007に北京で暮らしていました
ちょっと待ち合わせ時間があいたので、亮馬河のほとりにやってきました。ここは北京の東、あまり私の縁のないところ。
地元のおじさんたちが釣りに興じていました。微妙に暑いのですが、景色を見ていると少し涼しいと感じます。
ちなみに、いま北京はナンバー交通規制真っ最中。政府発表では、これが北京の晴天です。どこにも影がありません。誰が信じますか、こんなばかげた話。
私が北京でほしくてほしくて仕方のないものがこれです。
本当は留学帰りにもって帰りたかったのですが、重いんです。。。次回冬の安い時期に北京に再度来ようと思っていますが、そのときにでも買って帰ります。今回は1人用の小さい鍋を買いました。小さいけれど、格好はそのままです。でも、やっぱりこんな風に火を噴いてほしいなあ。
お腹も落ち着いたので、散歩開始です。このあたりは北京の北西部。良い感じの胡同が残っています。
書道用品のお店がありました。時間があればもう一度書道をのんびり学びたいものです。退職したら、杭州で1年くらい書道三昧の生活なんてできないものでしょうか。
ここは宮廷料理人の潭一族の末裔が営むという潭園醤肉というお店。今日は残念ながらお休みでした。伝統の手法で作った肉料理のテイクアウトの店だそうです。
北京師範大学の旧校舎にやってきました。とても素敵な建物です。
このあたりは綺麗になりすぎている感もありますが、このウイグル料理屋の看板は安っぽくなくて気に入りました。
立派なお屋敷の入り口です。もとは。今は数軒の民家になっているようです。かつて共産政府は北京の人口増に対応するため、ひとつの四合院に何家族もすまわせる政策をとったそうです。それでも足りず、ソ連式のアパートを作るようになったとか。私の住んでいたアパートも80年代製のソビエト式三角アパートでした。
新街口の通りに戻ってきました。この仏舎利塔がとても素敵なのですが、お寺としての機能は残ってなさそうです。
そろそろ、休みもおしまいです。学校が始まります。とても楽しみなのですが、折り返し点を過ぎたということでちょっと寂しい気持ちと、半分まできたのに言葉で苦しんでいるギャップに苦しみます。
昔の同僚の中国人の人たちは、「お前うまくなった」と大変ほめてくれるのですが、ネイティブスピードだと全く聞き取れない自分がここにいます。
さて、今日も元気に散歩に出かけます。今日は空白地帯だった新街口から西四エリアです。本当は輪行袋を買いに行ったのですが、日本と値段が同じでTopekの取っ手なしのタイプだったので、今日は諦めました。日本から送ってもらうことにします。
街角の自転車修理屋。こっちの自転車は本当によく壊れます。でも簡単に治るので皆さん気にしていません。命を預けるには、かなり怖いですけどね。
ウイグル族の少年。漢族とは明らかに違います。そばにいた父親が「息子を撮れ」といってくれたので、パチリ。良い表情です。
道路整備であちこちぶっ壊しています。この家は最後まで抵抗して住んでいます。壁の構造が良くわかる1枚です。
おそらく戦前の建物を見つけました。この洋館のスタイルは、日本人が好んだタイプみたいです。洋風の柱があるでしょう?
中は、木造の階段がありました。一階は事務所 2回は住居として使われているようでした。
これは民家です。お寺の名前が書いてありますが、右側に入り口があって中は民家が密集しています。戦前の北京はお寺がいっぱいあったのでしょうが、現在は大変ぞんざいな扱いを受けています。
胡同を歩くと、ちょうど鳩が飛んでいました。
西四の交差点から一条北に行った胡同の中に、四合院造りのホテルが出来ていました。こういう古い中国の雰囲気を生かしたホテルがいくつか出来始めています。少し庶民の暮らしからは離れますが、文化保護的には大変よい傾向だと思います。
この西四の新華書店は、私のお気に入りです。この風格は他にありません。中は普通の本屋ですが、いつまでもこの雰囲気を残して欲しいところです。
西四の交差点を西方向に向かいます。みつけた甘栗屋。屋根の装飾がすばらしいです。花鳥風月が彫り込んであります。栗のお味は、まあまあです。前回の西安門の美栗郷には及びませんが、見た目で100点です。
商店街に入りました。ここでトマトとマッシュルームを購入。
イスラム系の肉屋です。おじいさんが店番をしていました。
今日は阜成門に出てバスで帰宅です。博物館やお寺は、閉館時間で全く見れませんでした。明日再チャレンジしようと思います。
下斜街から、てくてく歩き始めます。前門まで出て、726バスで帰るつもりです。
良い声で小鳥が鳴いています。彼ら、爆竹の音でショック死しないかな、平気なんでしょうか。
そごうの南まで来ました。ここも再開発の手が迫っています。
瑠璃廠の通りまで来ました。焼き鳥を3本も食べてしまった。ひとつは、駝鳥(tuoniao)という鳥だそうです。よく考えたら、ダチョウでした。
瑠璃廠のあたりは、繁字体の文字が多くて心が和みます。これは簡体字ですが。このへんは、日本人がイメージする中国の商店街らしくて良いですね。
そして、前門方向へ。これはリアル北京の町並みです。やはり下町は一味違います。
昔の遊郭跡でしょうか?鼎盛当と書いてあります。このような看板はたくさん見つけるのですが、削り取られてしまっていたりして綺麗に残っているものは少ないです。このあたりの民国時代の姿を見てみたいものです。
前門のそばまでやってきました。200mほどで、前門の通りです。現在、オリンピックに向けて一機に改装工事をしていますが、少し裏に入ればこの汚さ。食堂もものすごく汚いです。 綺麗に再開発された通りのすぐ裏側に、こんな通りがあるというカオスは、中国ならではの景色だと思います。もちろん、ちょっと年齢の行ったお姉さんがアツい視線で誘ってくる、いかがわしい床屋も有ります。