北京の最後は毎朝太極拳でした。
ちょうど学生の登校時間になると、迷彩服の女の子たちがぞろぞろあるいていきます(語学系大学なので、女の子のほうが多い)
相互学習の女の子に聞いたところ、年度の最初の一週間は「軍訓」で、軍服を着て講義を受けるそうです。内容は軍事理論。
そんなのを横目に、じいさんばあさんたち(ほとんどが大学の退職教員)が太極拳をしているわけです。
2006-2007に北京で暮らしていました
くわしい経緯はニュースを参照してください。
いまのところ中国国内では報道されてませんが、台湾はもちろん中国ビジネスに注目する欧米諸国のメディアが、のっとり事件に付いて報道しています。
http://www.business-i.jp/news/china-page/news/200709050024a.nwc
この瞬間は寂しいものです。ま、これも経験。
荷物は35kgありました。減らしたはずなのに、ケースは満タンです。このケースそろそろ処分して、あたらしい軽いのを買おう。
住む場所の手配をしたり、自動車の復活手続き調査など、いろいろ処理しています。
自動車の車検を通すのに 約20万円かかることがわかりました。たしか出国前の試算どおりですが、めげそうです。 基本的にはじいさん運搬用の車だったわけですが、手放すと自転車レースとか青梅での練習には出て行けなくなる気がしています。ガソリンも高いし、すこし保留しましょう。都心部なので自動車がなくても、あまり困りません。
私が北京にいったことで移動が面倒になった両親も、すでに慣れてしまったようです。手放す確率が高くなってきました。今回車を手放したら、二度と車を買わない気もします。ちょっと150万払えといわれても、、、、いまのを乗り倒すのが一番安いのはわかっているところです。
マウンテンバイクは売る決心をしました。買い手がつくかどうかが問題ではありますが。
大同の中心部にやってきました。鼓楼の東側には、まだ古い一角が残っています。ごみだらけでとても汚いのですが、これが映画などで見る戦前の中国の景色なのかなと思いました。
北京の民家と同じようなつくりの門があります。
この装飾はなんでしょうか。
こちらはかなり立派な家です。
扉の取っ手もがっしりしています。
壁には石を彫った彫刻が。中は雑居の民家ですが、おそらく以前は相当なお金持ちの家だったのでしょう。
柱の土台の装飾も素敵です。
いまは実家です。実に息苦しいです。すでに大海の広さを知った私には、両親の50年前の日本的観点は耐えられません。
今日は聚中縁と、三宝園に行きました。いままでわからなかったコックさんの会話がわかります。厨房で笑顔をかわすだけだった彼らと突っ込んだ話が出来るようになり、ああ、俺の住む世界は二倍に広がったんだと実感しました。彼らの私に対する態度は、おそらく「中国語を話す日本人」ではなく「中国からやってきた・戻ってきた人で、中国と日本を両方理解した人」なんじゃないかと感じました。
また、北京空港で元同僚たちと電話で話しました。もちろん中国語です。やはりいままで彼らとはどれだけ関係が良かったとしても、お互い踏み込んで理解できなかった部分がありますが、今はものすごく近い距離に感じます。
1年ぶりの東京で、この一年で身に着けた中国語力の実用性を思い知りました。北京ではなく、これが東京であるというあたりが面白いところです。
飛行機の椅子があることを切に願います。昨日の分の客があふれているはずですから。。。。
まずは、太極拳の朝練に済ました顔で出かけます(笑)
明日着る服がなくなってしまったので、買い物にいってきました。シャツ一枚。ついでに明日の宴会の材料も新鮮なものに買いなおしてきました。
とおもったら、 店のロッカーにシャツを忘れてきてしまいましたよ。面倒だなあ。(目の前の店ですが)
なんとか40kgの荷物を、日本同学2人の助けで部屋から引っ張り出しました。空港まで行き、一番の問題の税関も突破しました。
日本航空は飛んでいるみたいですが、中国国際航空(全日空)と共同運航の便はキャンセルになっていました。こんな極上のネタを用意してくれた今回の留学、最高です。
「大阪にする?明日の便にする?」と聞かれたのですが、大阪についてもホテル代と新幹線代で2万は軽く飛ぶので、あきらめて一泊にしました。
見送りに着てくれた日本人同学Yさんといっしょに、バスで学校にもどりました。
日本領事館に帰国届けを出してしまったので、いまの私の身分は、住所不定無職なんですね。ホント。
そして、こうなったからには、ということで 最期の晩餐Part2へ突入する我々。
つづく。
そうとう減らしたつもりだったのですが、
けっきょくスーツケースはパンパンでした。がんばってベルトを入手して本当によかった。
お土産も、すこしあきらめた部分があります。 なんとかふたがしまって、よかったよかったということにしましょう。
学校に行く途中の、踏み切り(人力です)のところに、ちょっとした花壇があります。自分の小さいころ、近所の空き地にやはりオシロイバナがあって、本当のことをいうと、あまりきれいな花ではないのですが、一番思い出深くて好きな花なのです。
たぶん、数年後にはなくなってしまう景色だと思います。