入院顛末記(2)

で、のんびり薬を飲みながら直そうと思っていたのですが、高熱が収まりません。ちょうど数日前に危険な韓国料理を食べていたので、こっちから来た危ないものの可能性もあります。

土曜は私が幹事のお別れ会だったのですが、さすがに39度の熱で出歩くわけにはいかず、部屋でつぶれていました。しっかり着込んで水分を取って汗をかいているのですが、一向に熱が下がる気配がありません。

日曜はさらに悲惨でした。もう眠れません。さすがにこれはおかしいということで、月曜の一番早い時間で再度病院へ。こんども血液検査しましたが、白血球は正常。免疫を持ってないウィルスが居るみたいです。もう4日もたってるのに、免疫が出来ないなんていったいどんなウィルスなんでしょう。今回は抗生物質が出ました。お医者さん曰く「はしか、かなあ」と大胆予想です。「日本に戻った?」「いいえ、ずっとこっちです」

月曜夜と火曜朝昼まではなんとか。すこしづつ体温も落ち着いてきました。もう少しで平熱にもどる、平熱にもどったら1日休んで学校。。。と思ったのですが、火曜の夕方にジンマシンが大発生して人相が変わってしまいました。もしや抗生物質の副作用?あわてて病院に電話すると、薬を中止する指示がでました。

そしてその夜。40度の熱にうなされてほぼ一睡もできませんでした。さすがに大の大人でも40度が何日も続くと体力がもちません。喉も痛くなってきました。モノも食べられません。この夜は、人生で一番長かった気がします。

8日、水曜の朝になりました。トイレに行くと下痢です。出すものを出して立ち上がった瞬間に体中の力が抜けて倒れこみました。ちょうど顔のところに朝日が当たってて、朝日がやけに綺麗でした。 もうこれ以上ほっておくと命にかかわる気がしたので、予約なしで病院に駆け込みました。タクシーの中で電話をしておいたためか、到着後すぐに治療室に。まずはかけつけ点滴3本からスタートです。実は点滴初体験でした。これだけで5時間近く。その後血液検査。便の検査からは白血球がでたということで、下痢のほうは食べ物による問題もありそうだという説明でした。

結果でるまで待っててねということになったのですが、この段階で完全個室に移りました。感染力の強いはしかということで、看護婦さんも戦々恐々とした面持ちです。こっちはすでに連日の高熱でグロッキーなので、水を飲むことだけが唯一できることです。でも、40度の高熱を出しててもちゃんと中国語をしゃべっています。やるじゃん、俺。

お医者さんの質問です。

「7月22日ごろ、日本にもどらなかった?もしくは、日本から誰かきた?」

「14日に兄がきましたが、、、」

「14だと早すぎるねえ」

「22だと、ちょうど夏の授業開始の時期ですね。世界各国から学生が集まるので、何が流行ってもおかしくないです。。。」

どうやら潜伏期間は10日らしいです。そういえばこのあたりから微妙に元気なかったんですよね。 中国ではあまりはやってないので、お医者さんは日本からのもちこみを疑っています。つまりずっと中国にいる人はシロ。クラスの顔ぶれを見回すと、心当たりは真後ろの***です。

そして緊張の結果。。。ところがやっぱり検査結果からは明確な反応が出てこないそうです。 とにかくはしかだとすると同居人が危ないので、同居人にすぐにワクチンを打てということになりました。

「ジュリアン、はしかにかかっちゃったみたいなんだけど、医者がすぐにワクチンを打てって。」

「中国語でなんていうの?」

「すまん、わからん、いま辞書もってきてない。webで調べれば一発ででてくるはず」

ところが、途中から引継ぎ担当してくれていた外国人医師がフランス語をしゃべれるということで、フランス語で直接説明してもらいました。どうやら同居人は子供のころに経験済みのようです。

そして、次に実家に電話。

「おう、入院した。ところで、俺、はしかの接種してたっけ?」

母親「(かなり自信たっぷり)してたと思うよ」

「そか。ま、もう入院してるから、特に心配はいらん」

その晩食べた日本メニューの仕出し弁当は、この世のものとは思えないほどまずかったです。さらに喉が痛いので飲み下せません。丸一日、ほとんど何も食べていません。

夜は15分置きに給水を繰り返す単純作業。おなかも下っているので、かなりきっつい数時間でした。体中、発疹だらけです。

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Author: damarinz

原来我是北京人,现在在东京,所以我是个“北京原人“

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