入院顛末記(3)

看護婦さんたちは、水と薬を交互に持ってきてくれます。ただ、さすがに感染力の強い病気なので、ICUに入るときのような防護服を来て入ってきます。このとき、個室いきになった理由がわかった気がしました。私は危険な患者です。

朝がきました。3時すぎから寝ていたようです。とても久しぶり。

朝食はパンでしたが、喉が痛くて飲み下すのに苦労します。その後すぐに採血です。あとはひたすら熱が上がらないように扇風機に当たって待つ待つ待つ。。。。

そんなときに実家から電話がかかってきました。

「あんた、はしかの接種やってないわよ」

「あ、そ。昨日はずいぶん自信たっぷりだったけど。」

充分予想していたのですが、うちの母親は行動パターンがわかりやすすぎます。頭が回らないのは直しようがないし、30年も前のことなのでいやみの一言も言う気にならず。。。。

昼飯を注文したあとに、検査結果が出てきました。はしかの反応は半陽性だそうです。とりあえず帰宅して薬を飲んで治療してねということになりました、ほんとうはもう少し入院したかったんだけどな。。。体力の回復するまで。ちょうど熱が再度あがりはじめました、おきて歩くのもつらい状況。昼のおかゆはほとんど食べられず。 薬を飲んで、タクシーで帰宅しました。タクシーにのってるだけでもきつい。。。帰宅後そのまま倒れて、動けるようになったのは夕方6じごろ。長かった。。。

入院顛末記(2)

で、のんびり薬を飲みながら直そうと思っていたのですが、高熱が収まりません。ちょうど数日前に危険な韓国料理を食べていたので、こっちから来た危ないものの可能性もあります。

土曜は私が幹事のお別れ会だったのですが、さすがに39度の熱で出歩くわけにはいかず、部屋でつぶれていました。しっかり着込んで水分を取って汗をかいているのですが、一向に熱が下がる気配がありません。

日曜はさらに悲惨でした。もう眠れません。さすがにこれはおかしいということで、月曜の一番早い時間で再度病院へ。こんども血液検査しましたが、白血球は正常。免疫を持ってないウィルスが居るみたいです。もう4日もたってるのに、免疫が出来ないなんていったいどんなウィルスなんでしょう。今回は抗生物質が出ました。お医者さん曰く「はしか、かなあ」と大胆予想です。「日本に戻った?」「いいえ、ずっとこっちです」

月曜夜と火曜朝昼まではなんとか。すこしづつ体温も落ち着いてきました。もう少しで平熱にもどる、平熱にもどったら1日休んで学校。。。と思ったのですが、火曜の夕方にジンマシンが大発生して人相が変わってしまいました。もしや抗生物質の副作用?あわてて病院に電話すると、薬を中止する指示がでました。

そしてその夜。40度の熱にうなされてほぼ一睡もできませんでした。さすがに大の大人でも40度が何日も続くと体力がもちません。喉も痛くなってきました。モノも食べられません。この夜は、人生で一番長かった気がします。

8日、水曜の朝になりました。トイレに行くと下痢です。出すものを出して立ち上がった瞬間に体中の力が抜けて倒れこみました。ちょうど顔のところに朝日が当たってて、朝日がやけに綺麗でした。 もうこれ以上ほっておくと命にかかわる気がしたので、予約なしで病院に駆け込みました。タクシーの中で電話をしておいたためか、到着後すぐに治療室に。まずはかけつけ点滴3本からスタートです。実は点滴初体験でした。これだけで5時間近く。その後血液検査。便の検査からは白血球がでたということで、下痢のほうは食べ物による問題もありそうだという説明でした。

結果でるまで待っててねということになったのですが、この段階で完全個室に移りました。感染力の強いはしかということで、看護婦さんも戦々恐々とした面持ちです。こっちはすでに連日の高熱でグロッキーなので、水を飲むことだけが唯一できることです。でも、40度の高熱を出しててもちゃんと中国語をしゃべっています。やるじゃん、俺。

お医者さんの質問です。

「7月22日ごろ、日本にもどらなかった?もしくは、日本から誰かきた?」

「14日に兄がきましたが、、、」

「14だと早すぎるねえ」

「22だと、ちょうど夏の授業開始の時期ですね。世界各国から学生が集まるので、何が流行ってもおかしくないです。。。」

どうやら潜伏期間は10日らしいです。そういえばこのあたりから微妙に元気なかったんですよね。 中国ではあまりはやってないので、お医者さんは日本からのもちこみを疑っています。つまりずっと中国にいる人はシロ。クラスの顔ぶれを見回すと、心当たりは真後ろの***です。

そして緊張の結果。。。ところがやっぱり検査結果からは明確な反応が出てこないそうです。 とにかくはしかだとすると同居人が危ないので、同居人にすぐにワクチンを打てということになりました。

「ジュリアン、はしかにかかっちゃったみたいなんだけど、医者がすぐにワクチンを打てって。」

「中国語でなんていうの?」

「すまん、わからん、いま辞書もってきてない。webで調べれば一発ででてくるはず」

ところが、途中から引継ぎ担当してくれていた外国人医師がフランス語をしゃべれるということで、フランス語で直接説明してもらいました。どうやら同居人は子供のころに経験済みのようです。

そして、次に実家に電話。

「おう、入院した。ところで、俺、はしかの接種してたっけ?」

母親「(かなり自信たっぷり)してたと思うよ」

「そか。ま、もう入院してるから、特に心配はいらん」

その晩食べた日本メニューの仕出し弁当は、この世のものとは思えないほどまずかったです。さらに喉が痛いので飲み下せません。丸一日、ほとんど何も食べていません。

夜は15分置きに給水を繰り返す単純作業。おなかも下っているので、かなりきっつい数時間でした。体中、発疹だらけです。

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入院顛末記(1)

ちょうど8月2日のことです。

クーラーのがんがん効く教室にいるのですが、今日は1限を終えたあたりで嫌な寒気がしてきました。3限が終わった段階で、これはまずい思い、早退することにしました。

部屋に帰ってから少し落ち着いて座っていたのですが、どうも熱がある、図ったら38度オーバーだったので、横になることにしました。1時間ほど眠り体力も回復したので、さてどうしようと思ったところ、「そういえば病院があった、保険料とりかえさなきゃ」ということで、軽い発熱にもかかわらずタクシーで病院に向かいます(学生はタクシー補助がでるのです)。

待合時間の間、腰が痛くてかないません。頭も痛いです。日本人のお医者さんに見てもらい、血液検査までしたのですが白血球は正常だし、インフルエンザなども陰性です。 かぜの初期症状ではないかということで消炎鎮痛剤だけをもらって帰ってきました。

そして、その夜は、なぜか39度オーバーの熱を出すことになります。

入院してました

医師の診断がはしか。感染日時は先月22日付近 おそらく夏休み班で海外から来た学生がもってきたんでしょう。おそらくあいつだ。。。。くちょ。

詳しくはすこし体力がもどってから ほんとうに死にそうでした。いまもたいへんです。2日ろくにたべてないし、3日ねてません。

抗生物質も歯が立たず?

いや、昨晩はほとんど眠れませんでした。せきと高熱で。まだ状況はかわりません。

39度を一晩続ければ、たいていのウィルスは死ぬものなのですが、ぜんぜん効かない上に、こんどのウィルスは抗生物質への耐性も持っている?みたいです。顔がお岩さんみたいにはれ上がってます。これは危ない。

そうえば、中国駐在者の人が、日本の薬は中国では弱すぎて(耐性を持ってる)効かないといってましたっけ。

ほんと、北京に住んでて良かったです。田舎だったらどうなってたか。さらに、今回行っている医者は、例の韓国人が死んだ病院ではありません。そ言えば、隣のビルで友人Sさんが働いてたっけ。あぶない。。。

今日の教訓 キムチは猛毒 とくに夏は食べちゃダメ

追記 とりあえず熱は37度台まで落ち着きましたが、薬の副作用で顔中にじんましんが。。。。医者の指示で投薬中止になりました。

2chの騒ぎに思うこと

 元同僚の方も見ているので、一応ポインタを示しておきますが、2chでU社のネタがあがっています。

http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/radio/1184617352/ 

所感としては、文中で名指しされている部長さんだけでなく、中国駐在の少なくない男性社員がやんちゃな遊びをしていることは事実でしょう。ほかに一般人が好むような娯楽がないですからね。

彼とはひと悶着もふた悶着もあったのですが、別に擁護する気も貶す気もありません。彼は、ちょっと上を目指すために他人を踏み台にするなど強引なことをしすぎました。私や仲間も踏み台にされたクチです。結果は満足のいくものだったのでしょうが、最後に他人にしたことが自分に跳ね返ってきた・・・私はそう見ています。自分の家族よりも自分の楽しみを優先してしまったのだから、当然の結果でしょう。40才を過ぎて勉強する内容ではありませんね。

あの会社ではリーダー経験も積ませてもらったし、億に近い予算を使わせてもらったりして、業務評価に対して以外は感謝していますが、ちょっと社会道徳のない人が多すぎる会社でした。

まだ残っている元上司や、同僚はちゃんと暮らしているでしょうか。どう考えてもビジネス方針で大きく間違えているので、 非常に心配ではあります。売れなくてかえって暇であることを祈ります。

その後つとめた会社の訴訟の顛末なども聞くと(これも超おもしろい)、強欲の果てに身を滅ぼす人のなんと多いことか。やはりビジネスも人間関係も信用第一だなと思った次第です。 ま、それを守ってうだつのあがらぬ私がいるわけですが。ちゃんとまじめに生きようよ。

今日もだめ

体温を測ったら 38度ありました。これは相当厳しいです、明日も静養かもしれません。

とりあえず、再度病院にいってきます。一応、体に抗体が出来たみたいですから。 今度は抗生物質をもらいましょう。

キムチののろい恐るべし。よくよく聞いてみれば、韓国の人って虫下しを年に一回くらい飲むそうです。彼らの衛生基準で考えれば、食事の中になにがいてもおかしくありません。

韓国料理は金輪際お断りとココロに誓いました。

故宮を再度歩く

一ヶ月ほど前に撮った写真を、風邪で寝込んでいるチャンスにアップです。

ある北京人にいわせると、いちばんいきたくないところ、それが故宮。「地方から親戚がくるたびに、毎回いくのよ。むちゃくちゃ広くて疲れるし」とは王さんの弁。

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私も、できれば避けて通りたい場所であります。

今回は、以前閉まってた陶器館の展示が復活(場所は別のところ)していたので、まあ満足できました。しかし建物群は修繕中で見るべきものはまったくありません。

今回は、宜興の紫砂の名品を鑑賞。

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彩色のものです。むむむ、すばらしい。一部の隙もない造形です。かぼちゃといえばそこまでですが(笑)

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本物の紫砂です。太陽光で見ると紫に見えます。外の光は入らない展示エリアなので、ちょっと残念。同じ時代の紫砂壺をひとつだけ持っていますが、私のも置物になっています。だって、これで入れるとお茶の味が飛んでしまうのです。焼き方しだいだとは思いますがね。しっとりとして実に美しい輝きです。

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この弦も素敵です。こういうスマートな趣味の茶壺は、今では生産していません。これが再度中国人に理解されるには数百年かかるのではないかと。。。

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いままで知らなかった場所に出ました。西洋建築の跡です。まわりは事務所スペースになっています。

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さらに1ブロック先には、陶芸館が新設されていました。なかなかの収蔵です。首都博物館新館や耀州窯博物館には少し及ばない気がします。見ておいて損はないでしょう。

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そして、陶器の断片の展示。これをひたすら見て、陶芸目利きの眼力を養うのです。窯・年代によって異なりがあります。もちろんこれは窯跡から発掘さてた失敗作です。これは陶芸骨董沼の入り口。近寄るべからず。

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現代中国には、博物館クラスの名品を目指すような窯は残念ながらないみたいです。本当に宇宙人向けの品物みたいな奇怪なシロモノばかりになってます。骨董市場は沸騰しているので、 少しは古いデザインを見直してもいいと思うのですが、手間のかかることをしないのは現代中国人の特徴とも言えると思います。

体温あがったりさがったり

実は今日は、帰国する友人との最後の食事会だったのですが、まず昨晩の仕切りでミス。朝には一応37度台まで下がったのですが、出発準備をしていたら38度後半、午後には39度まで行ってしまいました。

おなかと喉がおかしくなってきました。腹は薬のせいかもしれませんが、ようやく普通の風邪っぽくなってきた感じです。

しかし、本当に惜しかった。。。。彼と再び会うことはあるのでしょうか。

今日も懲りずに、列車の写真をアップします。今回は夢の三重連?です。

http://www.youtube.com/v/4-Xm-942LV0 

体温38.8度

風邪を引きました。今日は早退です。

帰宅して体温を測ったら38.1 いま思いっきり汗をかいているところですが、38.8まであがってます。数時間でウィルスも死滅することでしょう。しかし、夏風邪恐るべし

外国人むけの病院で3万円なりなのですが、血液検査でも原因は見えず。たんなる夏負けだったらいいのですが。さすがに気が抜けましたし。

おそらく、キムチののろいのような気がします。思い当たるのは韓国料理しかない・・・・。日本人の医者も首をかしげるばかり。白血球がふえてないということは、おそらく抗体が体の中に無いのではないかと。人生ゲーム三回やすみって感じです。

で、39.8まであがったときは さすがに脳みそが煮える感じでした。いまはいったん37までおちたものの、また39度 です。

こうなると、買い物もままなりません。。。簡単な計算すらできません。