兄弟川菜 24時間営業

北京の四川料理マニアの強い味方、兄弟川菜にいってきました。一緒に行ったのは日本人Sさん。今日は彼女が内臓系ダメなので、いつもの夫婦肺片などはおあずけです。

imgp3232.jpg

前菜の、涼三絲。ちょっと固め。

imgp3226.jpg

定番のマーボー豆腐。食べ始めるととまりません。おいしい。

imgp3227.jpg

重慶涼面。なんか、たれが甘いので食べなれない味でした。

imgp3230.jpg

タンタン麺。これは強烈な風味でした。ちょっと苦い味のする材料が入っています。ゴマと山椒が強烈で、口に残る味でした。

imgp3231.jpg

場所は、南羅鼓巷の北口角。あのへんはバーストリートになってて、夜は雰囲気がいいです。ここで軽く食べてからバーで飲むのもいいかもしれません。周囲の羊肉串にも惹かれてしまうのですが。。。

北京市民はオリンピックを歓迎せず

HSKが終わってから、市内に買出しに行きました。奇数偶数ナンバーの車両規制をしているので、すこしは交通も流れているかなと思ったら、ぜんぜんちがいました。

バスを30分待って、ようやく乗り込みます。まず車がこないのがおかしい。

5分走って、4環の交差点でいきなり車がとまりました。この暑いさなか、空調なしで20分。理由は、警察が予告なしで道路を封鎖したからです。さすがに一部の乗客が切れました。

「これでオリンピックなんかやるのかよ、余計面倒だよ!!」

浮かれてるのは政府だけ、市民はうんざりです。そんなことよりもまともな都市運営を先に実現してくださいというのが市民のいつわらざる気持ちでしょう。

というわけで、私も頭にきました。ほんとダメな国です。

今日はHSKでした

はしかの影響でほとんど勉強できませんでしたが、幸いにも病気の前に一通り対策は済ましていたので、落ち着いて受験できました。

聴力はあいかわらず音が割れています。教室のスピーカーのせいです。出来はいまいち。

語法・総合は問題なくこなせました。この2科目は対策しましたから。問題は得意なはずの閲読でした。知らないと答えられない問題にひっかかってしまい、2問無駄に。かなり響きそうな感じです。

結果は22日に出てきます。8級受かってるといいなあ(受かっていれば、参考書がいらなくなるので帰国荷物ががくんと減ります)

Qさんのセミナーに参加してきました

中国ビジネスをしようとしている人たちはどんな人たちなんだろうと思い、邱永漢さんのセミナーに参加してきました。

箸にも棒にもかからないようなもの1名ほどおりましたが、参加者はレベルも高く年齢高め、予想をしていたようなやる気のある若者はすくないなあというのが実感です。3万円と、留学生にはちょっと手の届きにくい参加費だったのも影響していると思います。

邱永漢さんの実働部隊は、30台前半の若者がそろっていて、なかなか頭の切れる働き者がずらっとならんでいます。

今回の参加者の興味は株だったため、ビジネスについて深く語るということはあまりなく、ちょっと残念ではありました。マクロ的に中国経済を見ている邱永漢さんの考え方を聞けたのは収穫でした。

食事は大変おいしかったのですが、まだはしかの影響がのこっていてあまり食べられなかったのが残念です。

さて、私のビジネスアイデア、すこし自信がついてきました。日本に帰って、どうなることやら。

直りました

お医者さんより無罪放免の判断がでて、ようやく大手を振って歩けるようになりました。つらかった。

今日は学校でひるごはん、その後勉強です。寝てばっかりで、あまり進みませんでした。やっぱりまだ体力がもどりませんね。

16時間寝てました

今日は少し勉強しようと思っていたのですが、おきたら夕方でした。よっぽど疲れてたのでしょう。あの発熱の間、何Kcal使ったのかわかりません。

昨日 今日と食事が喉を通るようになってから、高たんぱく高カロリーの食事をこころがけています。体重計がないのですが、相当減ってるんじゃないかと。。。。

あす、医師の診断で外出許可の日がきまります。いま、顔は日焼けあとのように皮がくずれてはがれています。そろそろ直るはずです。

入院顛末記(3)

看護婦さんたちは、水と薬を交互に持ってきてくれます。ただ、さすがに感染力の強い病気なので、ICUに入るときのような防護服を来て入ってきます。このとき、個室いきになった理由がわかった気がしました。私は危険な患者です。

朝がきました。3時すぎから寝ていたようです。とても久しぶり。

朝食はパンでしたが、喉が痛くて飲み下すのに苦労します。その後すぐに採血です。あとはひたすら熱が上がらないように扇風機に当たって待つ待つ待つ。。。。

そんなときに実家から電話がかかってきました。

「あんた、はしかの接種やってないわよ」

「あ、そ。昨日はずいぶん自信たっぷりだったけど。」

充分予想していたのですが、うちの母親は行動パターンがわかりやすすぎます。頭が回らないのは直しようがないし、30年も前のことなのでいやみの一言も言う気にならず。。。。

昼飯を注文したあとに、検査結果が出てきました。はしかの反応は半陽性だそうです。とりあえず帰宅して薬を飲んで治療してねということになりました、ほんとうはもう少し入院したかったんだけどな。。。体力の回復するまで。ちょうど熱が再度あがりはじめました、おきて歩くのもつらい状況。昼のおかゆはほとんど食べられず。 薬を飲んで、タクシーで帰宅しました。タクシーにのってるだけでもきつい。。。帰宅後そのまま倒れて、動けるようになったのは夕方6じごろ。長かった。。。

入院顛末記(2)

で、のんびり薬を飲みながら直そうと思っていたのですが、高熱が収まりません。ちょうど数日前に危険な韓国料理を食べていたので、こっちから来た危ないものの可能性もあります。

土曜は私が幹事のお別れ会だったのですが、さすがに39度の熱で出歩くわけにはいかず、部屋でつぶれていました。しっかり着込んで水分を取って汗をかいているのですが、一向に熱が下がる気配がありません。

日曜はさらに悲惨でした。もう眠れません。さすがにこれはおかしいということで、月曜の一番早い時間で再度病院へ。こんども血液検査しましたが、白血球は正常。免疫を持ってないウィルスが居るみたいです。もう4日もたってるのに、免疫が出来ないなんていったいどんなウィルスなんでしょう。今回は抗生物質が出ました。お医者さん曰く「はしか、かなあ」と大胆予想です。「日本に戻った?」「いいえ、ずっとこっちです」

月曜夜と火曜朝昼まではなんとか。すこしづつ体温も落ち着いてきました。もう少しで平熱にもどる、平熱にもどったら1日休んで学校。。。と思ったのですが、火曜の夕方にジンマシンが大発生して人相が変わってしまいました。もしや抗生物質の副作用?あわてて病院に電話すると、薬を中止する指示がでました。

そしてその夜。40度の熱にうなされてほぼ一睡もできませんでした。さすがに大の大人でも40度が何日も続くと体力がもちません。喉も痛くなってきました。モノも食べられません。この夜は、人生で一番長かった気がします。

8日、水曜の朝になりました。トイレに行くと下痢です。出すものを出して立ち上がった瞬間に体中の力が抜けて倒れこみました。ちょうど顔のところに朝日が当たってて、朝日がやけに綺麗でした。 もうこれ以上ほっておくと命にかかわる気がしたので、予約なしで病院に駆け込みました。タクシーの中で電話をしておいたためか、到着後すぐに治療室に。まずはかけつけ点滴3本からスタートです。実は点滴初体験でした。これだけで5時間近く。その後血液検査。便の検査からは白血球がでたということで、下痢のほうは食べ物による問題もありそうだという説明でした。

結果でるまで待っててねということになったのですが、この段階で完全個室に移りました。感染力の強いはしかということで、看護婦さんも戦々恐々とした面持ちです。こっちはすでに連日の高熱でグロッキーなので、水を飲むことだけが唯一できることです。でも、40度の高熱を出しててもちゃんと中国語をしゃべっています。やるじゃん、俺。

お医者さんの質問です。

「7月22日ごろ、日本にもどらなかった?もしくは、日本から誰かきた?」

「14日に兄がきましたが、、、」

「14だと早すぎるねえ」

「22だと、ちょうど夏の授業開始の時期ですね。世界各国から学生が集まるので、何が流行ってもおかしくないです。。。」

どうやら潜伏期間は10日らしいです。そういえばこのあたりから微妙に元気なかったんですよね。 中国ではあまりはやってないので、お医者さんは日本からのもちこみを疑っています。つまりずっと中国にいる人はシロ。クラスの顔ぶれを見回すと、心当たりは真後ろの***です。

そして緊張の結果。。。ところがやっぱり検査結果からは明確な反応が出てこないそうです。 とにかくはしかだとすると同居人が危ないので、同居人にすぐにワクチンを打てということになりました。

「ジュリアン、はしかにかかっちゃったみたいなんだけど、医者がすぐにワクチンを打てって。」

「中国語でなんていうの?」

「すまん、わからん、いま辞書もってきてない。webで調べれば一発ででてくるはず」

ところが、途中から引継ぎ担当してくれていた外国人医師がフランス語をしゃべれるということで、フランス語で直接説明してもらいました。どうやら同居人は子供のころに経験済みのようです。

そして、次に実家に電話。

「おう、入院した。ところで、俺、はしかの接種してたっけ?」

母親「(かなり自信たっぷり)してたと思うよ」

「そか。ま、もう入院してるから、特に心配はいらん」

その晩食べた日本メニューの仕出し弁当は、この世のものとは思えないほどまずかったです。さらに喉が痛いので飲み下せません。丸一日、ほとんど何も食べていません。

夜は15分置きに給水を繰り返す単純作業。おなかも下っているので、かなりきっつい数時間でした。体中、発疹だらけです。

imgp3198.jpg