再録:阿仁の西根さんに会いに行った

この記事は再録です。

前のページがメンテ不能になっているので、こっちにバックアップの意味で。

再録:阿仁の西根稔さんに会いに行った

「恐れ入ります。来週の日曜日、お伺いしたいのですがよろしいでしょうか。」

仕事を辞めて、東北を彷徨っていたとき、「西根打刃物」という看板をみつけた。僕の記憶の中に、こんな言葉が浮かんできた。「秋田の山奥に、マタギの鍛冶屋さんがいる」大学時代、どこかで聞いた言葉だった。

子供のころ、図書館で釣りキチ三平を読んでいて、特にお気に入りだったのがマタギの話だった。いつか必ず、ここに来てナガサ(狩猟用の鉈)をお願いしよう、と心に決めた。そして、仕事を再開して多少の金銭的余裕ができ、ようやく旅に出ることができるようになった。ものを買うだけであれば、銀座の木屋に行けば買うことができる。でも、道具は作者の思想そのものであり、作者の思想がわからなければ道具の良さ、使い方がわからず、道具を使う資格がないと思う。なにより、マタギという人たちがどんな人たちなのか、出会ってみたかった。

かなりどきどきしながら電話をした。

「いいですよ、次の日曜の午後ですね。」

あっさりと了承を頂いてしまい、拍子抜けしてしまった。当時、仙台に住んでいた相方に「マタギの人に会いにいかないか?」と誘うと、二つ返事でOKがかえってきた。仙台から、新幹線で角館へ。秋田内陸縦貫鉄道に乗りかえて、雪景色の中を荒瀬の駅に向かった。無人の駅を降りてほどなく、目的の西根打刃物製作所があった。「よくきたね」と西根稔さんが出迎えてくれた。

年の頃は、自分の父とおなじくらい。ひげの無い仙人みたいだった。何を話していいのかわからない僕たちに、西根さんは話し始めた。話し振りは、残念ながら録音をしていたわけではないので再現できない。僕の心に残っている西根さんの言葉を「」で囲んで記すことにする。記憶にたよっているので、間違いがあったら申し訳ない。

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「手作りだから、1日5本しかできないのさ。いま注文をもらっても、できあがるのは3ヶ月後ね。」と言いながら、出来上がったばかりのナガサを取り出し、ナガサを廻しながら切っ先で人差し指の先をくりくりと刺した。こちらがびっくりしていると「力の加減を間違えなければ、安全。」といって、持ち方を説明してくれた。鉛筆を持つように握りの根元を持ち、「熊の皮を剥くときは、こうやって持って、何回も刃を動かして剥いていくんだ。」と、僕にも持たせてくれた。ずしりと重たく、長大な刃を持ったナガサはこうやってもつとぴたりと安定した。

「皮もはげる、槍として熊をしとめることができる、枝も払えるし、料理もできる。猟に出て、1本ですべての作業がまかなえる道具なんだ」

「自分が作る分は、貨車に一両分ためこんである。安来鋼だけれど、戦前の安来鋼で、今の安来鋼とは性質が違う。今が悪いわけじゃなくて、刃物に使うのに具合がいいんだ。鍛えるときに刃を冷やすのは、油を使っているけれども、この油も調合は秘密。自分しかしらない。ただ植物性の油というわけでも、鉱物油という訳でもない。だから、自分しか作れないんだ」

「このナガサは、自分の生きている間は永久保証だ。もし欠けたら、何度でも研ぎ直す。そうめったに欠けたりはしないけれどね。」

今度は、切っ先を下にして、木のいたへストンと落とした。ナガサは板に刺さって、倒れない。「バランスがいいから、こうして倒れないし、先も曲がらない。先は背の方から削り落としてあって、こうやって棒につないで、槍にして熊に刺さったとき、まっすぐ刺さっていくことができる。この背のかけた部分が無いと、変な方向にずれていってしまうんだ。」

そう言って壁に立てかけてあった棒をナガサに刺して、槍にして見せてくれた。「握りに、目打ち用の穴があいている。棒をさして、ここに目釘を立てれば槍になる」

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「ナガサを抜くときは、力を入れてはいけない。力を抜いて、素早くまっすぐに抜き取ると、鞘から早く出てくる。変な力が入らないから速いんだ。」と言いながら、鞘から抜くのを見せてくれた。目の前で7寸もある大きな刃が振り回されているのに、まったく怖いと感じなかった。

「山の中では、こうやって紐で腰に巻いて使うけれど、町では当然、車のトランクみたいなところに入れて、人目に付かないようにするよ。銃刀法違反になっちゃうからね」と笑いながら、持ち運び方を教えてくれた。

先端の峰側切り欠きの話から、初めて熊をナガサで倒した話になった。「長年、このナガサを作ってきて、数年前についにナガサで熊をしとめる機会がやってきたんだ。自分のいる稜線のほうへ、熊が登ってくる。自分のいるのは、2帖ほどのテラスになっているところ。そこをめがけて、熊が登ってくる。なぜか、自分の方にやってくる。ちょうど、袋ナガサの柄に長い棒を刺してあって、槍になっていたんだ。これは、本当にチャンスだと思った。」

「熊は腕を頭の上から振り落として、体ごと殴り掛かってくるんだ。そのあと体を起こして、金太郎さんの熊みたいに立ち上がってね、ものすごい速さで立ち上がるんだ。そうして、腕を上から頭めがけて振り下ろしてくる。自分は、体を半身にひねってやると熊が空振りして倒れ込むんだ。かわした、と思ったら、もう立ち上がってこちらを見ている。本当にものすごい速さだよ。それで、また頭をめがけて腕振り下ろしてくる。こんどは逆に半身にかわす。それをね、何度も繰り返すんだ。そんな中でね、自分の右足の付け根の所に槍の尻をくっつけて、固定したんだ。」

「次に熊が腕を振り下ろすとき、熊の心臓の所にナガサの先端をあてがった。熊が倒れ込んで腕を振り下ろしてくるんだけど、ナガサの先端がずぶ、ずぶとね。自分の勢いと重さでナガサが突き刺さって、背中から出てくるのさ。槍は足元で固定してあるから、そのまま突き刺さる。峰の切り欠きのおかげで、まっすぐ心臓を貫いて背中から出てきたんだ。」

「それから、数分たって、ようやく”熊をナガサで仕留めたんだ”と意識が戻って、無線で仲間を呼んだんだ。仲間が来て”西根さん大丈夫か”とすごい顔で心配するんだ。”俺は大丈夫だよ”と答えるんだけれど、仲間が”大丈夫なことあるか。顔が血まみれだ”といわれ、初めて熊の爪が自分の額を切り裂いていたことに気がついたんだ。緊張していたのと、熊の爪があまりにも鋭利だったから気がつかなかったんだな。熊の爪には雑菌がいないのか、その後化膿することもなく傷跡もほとんど残らずに治ったよ。このとき、自信がついたよ。このナガサは、本当に熊を仕留めることができるんだ、ってね。自分で証明できて、とても嬉しかった。」

僕らは林学出身で、森のことに関しては人並み以上の興味がある。そのまま、猟の話になった。「マタギは、山の中を1時間に4kmあるく。普通の人が平地で歩くのとかわらない。こうやってね、腕を胸に組んで歩くと、体が自然に前傾姿勢になって、足が自然に前に出るんだ。これがマタギの山歩きの秘訣。でも、マタギといっても道路を丸一日歩くのはできないよ。地面が固くて、足がもたない。山の柔らかい土の上だから歩けるんだ。」

「マタギの写真では、蓑をかぶっているすがたがあるけれど、今のマタギは使っていない。今はスポーツ用の最高級の服を着ているんだ。真冬でも3枚しか着ない。一番下は赤外線発熱の下着。2枚目は化学繊維の登山用の服。3枚目は、ゴアテックスの薄いジャンパーだ。とにかく、科学の最先端の一番いいのを着るんだ。それで、山の中で一晩でも二晩でも野宿する。温かくないよ。でも寒くない。汗をかかないから、温かくないけれど汗が冷えて寒くもないんだ。それでいて動きやすい。大木の曲がった根元の下に入って風がこなければ、雪の中で野宿しても大丈夫。一度猟に出ると、獲物が出るまで野宿するからね。顔が寒いときは、この布(といいながら、60cm四方程度の布をみせて)かぶる。普段はあごの下で結ぶ。これで耳は寒くない。吹雪のときは、鼻のところで結んで目だけを出す。鷹巣あたりの町に出れば売ってるさ。このへんの農家のおばさんは、みんなこれをかぶってる。」

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「俺たちは、基本的にグループで猟をする。でも、一人で猟をする人がいる。松橋さん、あの人はすごい。一人で山に入って、何日も待って熊を仕留めてくるんだ。彼は、歩くのが速い。韋駄天みたいだ。一人で猟に行って、獲物を引っ張ってかえってくる。」

熊は重たいですけれど、どうやって一人で持ってかえってくるんですか?と尋ねると

「往復するのさ。往復して、あと家族にも手伝ってもらって運びおろす。みんな歩きさ」常人には歩くのもままならない雪の中を、何往復もするらしい。

「そういえばきみたち、星野道夫って人を知っているかい?」去年、熊に襲われてなくなりましたね、と返事をした。「彼が死ぬ1ヶ月前に、雑誌の編集者と一緒に彼がここにきてインタビューを受けたんだ。向こうは「野生の熊は、こちらから脅かさないかぎり絶対に人を襲わない」と言うんだけど、「絶対なんか山にはない」といったよ。絶対という言葉は、山には無いんだ。そこでけんか別れしたんだ。腹が立ったから、名刺をこのストーブで燃やしてしまったよ。後日、事務局(編集?)の人が来て、星野さんは取材旅行に行ったが、機会があればまた是非お話ししたいと言っていたと言われたんだ。

編集の人が来てから数日後、ニュースで星野さんがアラスカで熊に襲われたことを知ってね、外へ出て北東の方角へ手を合わせたんだ。あの人は最期の瞬間に何を想ったんだろう、それでも、それでも僕は、野生の動物は人を襲わないと思っているんだと、そんな声が聞こえるようだった。もし君たちが、雑誌の編集者を見つけたら話をさせてくれよ。説得できていたら、彼は死なずにすんだんだ。それが本当に残念だ。アラスカじゃ線香もあげに行けないからねぇ。」

熊の性格の話になった。「女性が、なんで山にはいっちゃいけないか、知ってるかい?山の神様が女性だから、ということになっている。でも、本当の理由は違う。熊だよ。女性の匂いをかぎつけて、熊が襲ってくるんだ。奴らは、女性が弱いことをわかっているんだ。だから、女の人は山にいっちゃいけねぇ。これが本当の理由だ」

「熊はね、人を襲っても留めをささないんだ。生きたまま、はらわたを食べる。少し離れたところの集落で、夕方に畑で人が襲われたんだ。呼び出されて、銃をもっていったんだけど、熊がぐるぐる被害者の周りを回っていて近づけない。狩猟の法律で、日没後は銃を撃ってはいけないんだ。おまわりさんがやってきて、拳銃で撃ったんだけれど、ぜんぜん効かない。熊撃ち用のライフルじゃないと、歯が立たないんだ。だから自分の銃で撃って、助けたいんだけれど法律で撃つことができない。人を助けられない法律なんて、不完全だよ。でも法律があって、いま撃つわけにはいかない。日が昇ってから猟銃で仕留められたけれど、襲われた人はかわいそうに助からなかった。なんで融通がきかないのかね。」

「もし、熊にあったら、とにかく逃げることだ。走って逃げれば、逃げ切れる。死んだふりは通用しないし、木に登ったら熊の方が木登りがうまい。とにかく、子連れの熊にあったりしたらすぐに逃げることだ。走れば逃げ切れるよ。長距離になれば、おいかけてこない。必ず鈴をならしていること、出会ったらすぐに逃げることだね。」

「去年、新しい銃を買ったんだ。ドイツ製の最新型だ。ところが、娘に子供が生まれた。マタギの掟で、子供が生まれた家の人間は1年間、猟に参加してはいけないことになってるんだ。だから猟に出ないでこの仕事場で、無線をきいて連絡役をやっていたんだ。ほら、そこにアンテナがのびている。それでも、やっぱり新しい銃をもっていきたくてね、猟に出たんだよ。勢子の若者に「この谷の本流を詰めていけ」と指示したんだ。稜線の奥には人を配置してあって、熊は一匹。絶対に逃げられない。それで猟をはじめたら、勢子が行き先を間違えた。本流の横にある瀧を、本流と間違えて支流に登っていってしまったんだ。待っても熊がこない。おかしいぞと思ったら、勢子が別の方向にいっていたんだ。彼らも経験があって、まちがえるような素人じゃない。やっぱり、言い伝えどおり子供が生まれたのに猟に出たからこうなったんだ。言い伝えはおろそかにしちゃいけない。たしかに、いまの時代に信じるのは科学的じゃないけれど、やっぱり言い伝えは本当なんだ。だから今年の冬はそれ以来猟に出なかったよ。いまも猟の時期だけど、こうやっておとなしくしている。」と微笑みながら話していた。

「このあいだ、弟子にしてほしいという若者が広島からやってきた。”何年修行するつもりだ?”と聞くと、”2年”という。それじゃだめだといってやったよ。最低5年、この土地で林業をやる。5年仕事をしたら、猟に連れて行ってやる。そこから修行開始だ。2年なんてとんでもない。5年働いて、この土地の人間になったら教えてやるといったら、かえっちゃったよ。」 本当に土地の風習、文化に根付いた道具を作るには、土地の文化をよく知らないといけない、文化を知って猟を知ったときに、この道具を作れるようになる。ということなんだろう。

熊撃ちの話「熊はね、秋には冬眠のために食料を食べあさってあるいているんだ。春は、冬眠から目覚めて食料をさがして歩く。だから猟は初秋と、春にするんだ。真冬は、木のウロにはいって寝ている。でもあいつら、寝ているようだけれど、すぐに起きるんだ。入り口が人間の頭くらいの穴にはいっててね、その穴を探して、出てきたところを撃つ。こんな小さい穴でさ、中に気配がしたもんだから追い出してみたんだ。穴から顔が出てきた。銃を構える間もなく、小さい穴から飛び出してきて、本当にすごい速さだよ、下の方にい逃げていってしまった。びっくりしたよ、こんな小さい穴から大きな熊が出てくるんだ」

熊の交尾の話「ちょうど熊が交尾をしていてね。交尾中なので、撃つ訳にはいかない。でもいたずらしてやろうと、後ろから近づいてみたんだ。ぜんぜん、こちらを気にしない。手がとどくところまで近づいたので、背中の毛をむしってやったら、顔だけくるっと真後ろをむいて吠えたんだ。おどろいて逃げ帰ったよ。」

「国立公園の特別保護区ってあるだろ?あれのおかげで、山には巨大な熊が育ってしまった。200kgもあるのがいるよ。昔は、マタギが狩りをしていたから、そんなに大きくならなかったんだけれど、法律のおかげでこんなに大きい熊が育ってしまった。危ないよ。」

「初めて熊を撃ったときは、本当に怖かった。熊が遠くから、こっちにくるんだ。自分の持ち場のところにくるのかな、と思っていたら、まっすぐ稜線の自分のところに向かってくる。こわくて、早く撃ちたいんだけれど、至近距離から心臓にうちこまないと倒せない。20mくらいまで近づいてきた。なんでわざわざ、人がいるところに向かってくるのかわからないけれど、自分の方に向かってくる。撃ったら、熊が倒れ込んだ。そのまま、その場所を動けないでいると、シカリや仲間がやってきて、祝福してくれた。熊を撃ったら、仕留めた人が生き血を飲むのが習慣なんだ。気持ち悪いけれど、飲んだ。飲んだら、嬉しくてさ。うれしくて忘れられない経験になった。」

僕は、植物学者のなりそこないとして、長く疑問に思っていたことを質問した。「熊はブナの実を食べると聞いていますが、どうやって食べるんですか?皮ごと?それとも剥いて?」「自分も見たことはない。ただし、撃った熊の胃袋を開いたら、ブナの実で真っ白だった。殻は全然はいっていなくて、本当に中身の白い部分しか胃袋に入っていないんだ。だから、たぶんあの舌でなめるようにして集めて、口の中で皮をむいているんじゃないかと思う。直接見たことはない。でも胃袋の中を見る限り、そうとしか思えない」

時間もいい時間になってきた。また話がナガサの使い方に戻った。「ナガサの手許には、何か巻くといいよ。紐とか、藤とか。自分はビニルテープを巻いて色が目立つようにしている。手からすっぽ抜けないためと、万が一おっことしても色ですぐわかるように。あとは古くなったらすぐに巻き直せる」

そして最後に、西根さんはこう言った。「今日話したことは、いずれ本に書くつもりだ。でも社会にでる機会はあんたたち若い人のほうが多いだろう、この話をみんなへ伝えて良いよ」

気がつけば、3時間が経過していた。列車の時間が来てしまった。お礼を言って、住所と電話番号をわたしてきた。「3ヶ月くらいかかるよ」出来上がるのが楽しみだ。僕は今日来た記念に、熊鈴を買った。良い音がするのを選んだ。相方は奇麗な和音の鈴、僕はちょっとトーンの高い音の鈴。

相方は、得難い経験をしたと、非常に喜んでいた。それは僕もおなじこと、相方と思い出深い旅になると同時に、人生ですばらしい人との出会いがあったことに感謝した。

7月になり、そろそろ出来上がるはずだと思っていた。連絡がこないので、不思議に思っていた。出来上がったら、ぜひ再び会いにいきたい、そう思っていた。でも、催促するのも気が引ける。

9月になり、西根さんが7月に亡くなっていたことを知った。相方といっしょに、10月に西根さんの家を再びおとずれた。奥様が出迎えてくださり、故人のお話を伺うことができた。体調をくずし、入院して検査をすることになったが、造影剤を入れたところで薬が体にあわずに亡くなってしまったということだった。健康のために検査をして、検査の薬で命を落とすなんて、なんという皮肉だろうか。

お線香をあげ、半年前にお話を伺った工房で故人への想いにふけった。奥様は「もどってきたら、すぐに仕事ができるように、そのまんまにしてあります。」ハンマーも、ベルトサンダーも、よく手入れがされており、毎日動いているような感覚がした。うちかけのナガサが6本、工房においてあった。このうちの一本は、僕の手許に来るナガサだったのかもしれない。僕のナガサは、半製品のまま工房で主の帰りを待つことになった。

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彼から直接伺った話も、本として世に出ること無くなってしまい、僕たちの記憶の中にあるのみだ。相方と僕は、工房の中で西根さんとすごした3時間を思い出し、仏壇に線香をあげた。「本に書くつもり」を果たせなかった西根さん。僕らが聞いた話を、世の中に伝えるのが僕らの義務だと思った。

幸い、弟弟子のかたが阿仁前田で鍛冶をしており、現在は登さんがフクロナガサをつくっている。秘伝の油の調合も、ちゃんと伝わっているそうだ。いま僕の手許にあるのは、弟弟子にあたる登さんの作品。6寸の柄付き(銘:西根登)は相方が持っていて、7寸フクロナガサは自分で使っている。

もしかして、稔さんが最後に道具に魂を吹き込む部分は、僕らのように訪れた人に、マタギの暮らし、道具の意味を伝えることではなかったのだろうか。だとすれば、僕は最後の仕上げを先にしていただいたことになる。

いま、僕の手許には7寸のナガサがあり、山に行くとき、庭で枝を払うとき、いろいろ役にたっている。いつでも手許に置いておきたい道具だ。僕らはマタギではないが、マタギの使い方を習うことでこの道具を身につけてもいいと認めてもらえたのだと信じたい。

胖了。。。

最近我沒計過體重。今天偶然看見體重計,登上一下。

我吃驚了,我的體重差不多65公斤了。我的平時的體重是60公斤,我胖了。

老家的菜太油膩,我應該趕快走出去老家開始自己弄做飯。

まずい、太りました。もうすぐ65kgです。体脂肪率が高くなっているので、普通に脂肪が増えている。。。。やっぱり実家の飯は健康によくありません。何が悪いって、急速に太ることです。運動しなきゃ。。。それよりも早く実家を脱出です。やっぱり兄貴も脂肪肝になったのですが、実家の飯は体に毒です。北京のほうがなんぼかマシ。

旗の台の鳥樹

今日は中学同窓3人で忘年会。ま、ちょっとはやいけれど、北京の写真も見せたかったし。

場所は、旗の台の鳥樹。近所の安くて美味しい鳥料理屋。

昨天我們三個老同學聚起來開了“忘年會” 。時期比較早,可是我想給他們看我在北京的時候拍的照片。

地方就是我家附近的一個烤雞肉店。名字就是“鳥樹”,是個一家又便宜又好吃的雞肉餐廳。

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やきとりー。雞肉串。

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カワ焼きー 。 雞皮。很脆。

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塩レモン風味鳥刺身。生雞片,不是生魚片。上面放了鹽和檸檬汁。

最後に鍋を食べて 鳥を堪能しました。これで当分我慢できます。実家暮らしは自分で好きなものを食べられないからきついなあ。最后我們吃雞火鍋,我們十分滿足了。在老家住的生活,我不會吃自己喜歡的菜。真難過。

まだ結果の連絡きません。知らせが無いのは良い知らせと思いたいのですが、今日はあまりにもテンションがあがらず英語の勉強をサボってしまいました。太極拳も。。。。

找工作方面我還沒得到面接的結果,我自己認為沒有信息就是好信息。可是呢我今天沒有精神,我緿工了。真不好。

銀座の御木本真珠

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そろそろクリスマスで、街もこんなきれいな飾り付けが。

今日は2件うれしいことがありました。

1つは、昔の会社のそばのてんぷらやさん。日本に帰ったらここのてんぷらを食すのが楽しみでした。お婿さんが厨房に入ったというのはきいていたのですが、なじみのおじさんがいません。このおじいさんは。。。とおもったら、なじみのおじさんでした。

大きな病気をしたそうで、すごくやつれていましたがちょうど今日は運よく店に出ていたそうです。先週、雑誌の取材対応で出たときと今日くらいしか出てきていなかったとか。運よく再開できました。味のほうは本調子ではなく、少々揚げ過ぎとペースが速すぎの感がありましたが、調子がよくなるにつれて味も戻るでしょう。お婿さんも野心家のようで、今後が期待です。中国にお店を出したときの話などをしてくれました。

こんど「男の隠れ家」に掲載されてしまうそうなので、一足先にここに書いておきます。 安いのに、すごく内容がしっかり。ご主人はいまはなき「茅場町 稲ぎく」出身です。ランチのお値段は1300円とお手ごろ。今日一緒にいった中国人も「兄貴、むっちゃうまいなここ」といってました。

てんぷら 小野

2点目は、スペイン料理屋でコックをしている知人に再会。元気そうでなによりでした。がちゃがちゃしゃべるスペイン人の店員さんやらお客さんやらを見ていたら、留学時代を思い出しました。しゃべっていることはほとんど聴いてもわからないんですけど。ワインとトルティージャをいただき、美女を眺めながら午後のバルでくつろぐのはなかなか素敵でした。

快要圣誕節了,在銀座漂亮的圣誕裝飾增加起來了。

今天我有兩個好事。第一個就是我今天去我最喜歡的天麩羅店。我在中國的時候常常懷念該店的味道,真不錯。聽說老板的女婿開始跟他一起工作,可是我沒看到老板。有一個老人不像他。他是誰?果然他是老板。

他說他得了一場大病。他肯定瘦了。他得病以后不上班了,上個禮拜只一天中午上班了是為了應對雜記社的采訪。這周呢,就是今天。他晚上沒上班,我真的好運氣。味道還是老樣子,還不錯。我覺得有一點點過火了,原因就是他的身體情況還沒好。可是呢,我滿意了。下次來的時候他的身體好多了味道也一定還到以前的水平。

他的女婿也真好,我第一次見面的。他會說英語。下次我朋友從國外來的時候我陪她來到這里。我斷言,michelin里有好幾個天婦羅店,可是我今天去的該店就是在日本第一列的水平。哈哈,老板是以前某一個老字號的廚師,就是日本第一列的高手。而且該店的價格不貴。才90RMB可以吃午飯。味道水平是高級點,價格是1/3。我給他們三個星。

第二個好事是,我今天見面了老朋友。她是個西班牙菜的廚師。我去她的餐廳好久才談話。她的同事有一個西班牙女孩,那時候正好來了三個西班牙人。店里熱鬧起來了,我想起了留學的日子,有很多西方人和東方人一起聊天。他們說的我都替你不懂。可是呢心理非常的舒服。我把一個滿了葡萄酒的杯子拿著看美女,極好的過時間。

沒有菜的照片了,不好意思。

最近の生活

英語の勉強がはかどらないものの、中国語のほうは少しずつ退化していきます。口語のほうはPodCastのChinese Podと、中華料理屋で練習しているのですが、書面語はぜんぜん勉強できてません。HSK8級なりの中国語力がキープできるかどうか、これからの練習しだいです。なんだかんだで、毎週中華料理屋に行っています。今日は「人家」の使い方をちょっと判った気がしました。「他」が2人以上に使う必要があって、他Aと他Bで混乱してしまう場合は人家を使うといいみたい。

そして英語なんですが、ヒアリングはいいけれど自分で話すとなるとぜんぜんだめです。北京で使ってた中国語の教科書は、生活でよく使う単語をうまく拾い出してありました。同じような本を探してたら、ようやく見つけました。 気持ち的にはかどらないんですよね。図書館に缶詰にならなきゃだめかな。

そして、面接の結果の連絡が来ません。連絡が無いのはいい知らせ、ということにしておきましょうか。仕事がきまらないと北京行きの詳細スケジュールがきまらないんです。

そうそう、この間の面接は、ダメでした。ホリエモンの劣化コピーみたいなマネージャーが出てきちゃって、独演会を始めちゃって。。。。お断りしました。やっぱりハゲタカファンドはこんなもんですね。

静嘉堂文庫に行く

今日は静嘉堂文庫にいってきました。岩崎弥太郎の中国美術コレクションです。撮影禁止だったため内部の写真はありませんでしたが、じっくり見てきました。

次回は窯変天目が出るらしいので期待です。 今回の目玉は、田黄の石。篆刻には手を出していないのですが、マンゴープリンのように瑞々しい黄色の石でした。

今日は風邪が治らないので、のんびり自転車です。

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ムラサキシキブがきれいに色づいていました。

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静嘉堂文庫の隣の岡本四丁目広場 政治家の旧宅跡をそのまま公園にしてあるみたいです。すばらしい邸宅でした。散策路の中には泉が沸いています。

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帰りに、おみやげとして大蔵大根という地場の大根を買って帰宅しました。大根かついでロードレーサーで目黒通りを走ります。フェラーリの店があって、フェラーリに乗ってる人が結構いるのですが、彼らよりもずっと幸せですよ。

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Michelin guide 東京(有中文)

ついに星の内容が明らかになりました。

内容は、、、、うーん、かなり疑問符がつくものがありました。とくに中華に関してはあきらかにおかしいと思います。西洋人の好むヌーベルシノワ的なものが高得点を取っている感じです。中華に関しては北京上海香港あたりのミシュランを待ちたいところですね。

スペイン料理の小笠原伯爵邸も、内情をコックさんに聞くと、いくら豪華な雰囲気でも。。。。という感じです。

フランス料理は前衛的なものを主に選んでいますね。私の大好きなお店は、フランス大使館の人たちも足しげく通う伝統的な料理を出しますが今回は選ばれませんでした。本当によかった。。。。予約とれなくなったら大変ですからね。

フランスに対しては、美食を語るならエールフランスの機内食を先になんとかしろと言いたいです。今回、てんぷらの「みかわ」に星を与えなかったことについては評価したいと思います。あそこは衛生的にも×です。日本の所謂美食家の意見を鵜呑みにしたわけではないことはわかりました。

為了Julien,我寫中文。

Michelin guide 東京馬上出版了。“星”的內容發表了。

http://www.michelin.co.jp/guide/ 

http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/drink/wnews/20071119gr09.htm?from=os1 

我覺得,內容不適當了。有的餐廳的評價太過分了。特別是中國菜,明確的不恰當。得了高得點的是 Nouvelle Chinois 的。從中國菜來看,我們要等待北京上海香港的那一個。

西班牙菜的 “小笠原伯爵邸”得了一個星,我同意他們的建筑就是日本貴族的公館樣式,真的不錯。可是他們提供的菜呢?我聯系了以前在那邊工作的廚師,她說的就是沒有值得吃。

從法國菜來看,他們的選擇就是前衛的為主。我最喜歡的餐廳,法國大使館的人也常來的le petit pedon。他們提供法國地地道道的菜,可是這次他們沒被選了。我衷心的放心了,要是他們得了星,人太多了就我不能預定了。

我希望,他們明年以后提高內容,證明世界馳名的威信,讓日本人知道法國人的對美食的厲害。首先法國把Air france的飛機內提供的飯菜提高內容再談吧。

我給他們一個好評價,他們不給“tenpura mikawa”一個星,這意味著不是盲目地相信日本所謂的”美食家“說的。mikawa的衛生觀念真的差。

光棍節 干煸豆角的味道

短篇小說 干煸豆角的味道

光棍節來了。那天我跟以前的同事一起吃飯。

她非常非常漂亮,公司里最漂亮的就是她。她結婚了,公司里的男光棍們傷心透了。可是我祝賀她得了愛情生活,蓋了一個幸福的家庭。那時候我真羨慕她的丈夫,他選的人不是我而是他。雖然我不是被選的人,我的心里卻好像雨后的藍天,我衷心的祝賀她。

然后她的生活上有了巨大的波瀾壯闊,果然成了一個光棍了。現在呢她找男朋友。可是我覺得我們的緣分已經沒有了。我愿意,若是3年以前她選的人是我。。。來不及了。

我介紹她我在北京的時候愛吃的菜“干煸豆角”。如果若是不是若是,我肯定選擇比較安定的生活,一直在東京工作。我可能一輩子沒有機會知道這些菜,她也是。她說好吃的很,可是我覺得今天的干煸豆角含了有些苦的味道,就是人生的苦。

若是:這個詞語我們常用的。 我的若是越來越多了。我重新看她的樣子,她還是非常漂亮。由于她自己決定的事,因此發現了我的若是,沒有緣分了。我無可奈何的看著她。

然后她問我好幾個成語。她說是一種心理檢查。我想起了“一見鐘情”,“晴耕雨讀”。她說我的回答非常奇怪。她說第一個就是人生觀,第二個就是戀愛觀。

我沒說一個想起來的成語 “一去不復返”。不過我沒說她這個。應為,若是就是若是而已。她是我的黃鶴。

中国では11月11日は光棍節といって、彼氏彼女のいない独り者の記念日ということです。それにちなんで、ちょっと短編小説を中国語で書いてみました。 内容は、ちょっとハートカクテルみたいな内容です。舞台はとある中華料理屋。中華料理屋でハートカクテルなんてありえないけど(苦笑) 中国語がわかる人だけの特典ということで・・・・。うわ、書くのにえらい時間かかった。