この記事は再録です。
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再録:阿仁の西根稔さんに会いに行った
「恐れ入ります。来週の日曜日、お伺いしたいのですがよろしいでしょうか。」
仕事を辞めて、東北を彷徨っていたとき、「西根打刃物」という看板をみつけた。僕の記憶の中に、こんな言葉が浮かんできた。「秋田の山奥に、マタギの鍛冶屋さんがいる」大学時代、どこかで聞いた言葉だった。
子供のころ、図書館で釣りキチ三平を読んでいて、特にお気に入りだったのがマタギの話だった。いつか必ず、ここに来てナガサ(狩猟用の鉈)をお願いしよう、と心に決めた。そして、仕事を再開して多少の金銭的余裕ができ、ようやく旅に出ることができるようになった。ものを買うだけであれば、銀座の木屋に行けば買うことができる。でも、道具は作者の思想そのものであり、作者の思想がわからなければ道具の良さ、使い方がわからず、道具を使う資格がないと思う。なにより、マタギという人たちがどんな人たちなのか、出会ってみたかった。
かなりどきどきしながら電話をした。
「いいですよ、次の日曜の午後ですね。」
あっさりと了承を頂いてしまい、拍子抜けしてしまった。当時、仙台に住んでいた相方に「マタギの人に会いにいかないか?」と誘うと、二つ返事でOKがかえってきた。仙台から、新幹線で角館へ。秋田内陸縦貫鉄道に乗りかえて、雪景色の中を荒瀬の駅に向かった。無人の駅を降りてほどなく、目的の西根打刃物製作所があった。「よくきたね」と西根稔さんが出迎えてくれた。
年の頃は、自分の父とおなじくらい。ひげの無い仙人みたいだった。何を話していいのかわからない僕たちに、西根さんは話し始めた。話し振りは、残念ながら録音をしていたわけではないので再現できない。僕の心に残っている西根さんの言葉を「」で囲んで記すことにする。記憶にたよっているので、間違いがあったら申し訳ない。
「手作りだから、1日5本しかできないのさ。いま注文をもらっても、できあがるのは3ヶ月後ね。」と言いながら、出来上がったばかりのナガサを取り出し、ナガサを廻しながら切っ先で人差し指の先をくりくりと刺した。こちらがびっくりしていると「力の加減を間違えなければ、安全。」といって、持ち方を説明してくれた。鉛筆を持つように握りの根元を持ち、「熊の皮を剥くときは、こうやって持って、何回も刃を動かして剥いていくんだ。」と、僕にも持たせてくれた。ずしりと重たく、長大な刃を持ったナガサはこうやってもつとぴたりと安定した。
「皮もはげる、槍として熊をしとめることができる、枝も払えるし、料理もできる。猟に出て、1本ですべての作業がまかなえる道具なんだ」
「自分が作る分は、貨車に一両分ためこんである。安来鋼だけれど、戦前の安来鋼で、今の安来鋼とは性質が違う。今が悪いわけじゃなくて、刃物に使うのに具合がいいんだ。鍛えるときに刃を冷やすのは、油を使っているけれども、この油も調合は秘密。自分しかしらない。ただ植物性の油というわけでも、鉱物油という訳でもない。だから、自分しか作れないんだ」
「このナガサは、自分の生きている間は永久保証だ。もし欠けたら、何度でも研ぎ直す。そうめったに欠けたりはしないけれどね。」
今度は、切っ先を下にして、木のいたへストンと落とした。ナガサは板に刺さって、倒れない。「バランスがいいから、こうして倒れないし、先も曲がらない。先は背の方から削り落としてあって、こうやって棒につないで、槍にして熊に刺さったとき、まっすぐ刺さっていくことができる。この背のかけた部分が無いと、変な方向にずれていってしまうんだ。」
そう言って壁に立てかけてあった棒をナガサに刺して、槍にして見せてくれた。「握りに、目打ち用の穴があいている。棒をさして、ここに目釘を立てれば槍になる」
「ナガサを抜くときは、力を入れてはいけない。力を抜いて、素早くまっすぐに抜き取ると、鞘から早く出てくる。変な力が入らないから速いんだ。」と言いながら、鞘から抜くのを見せてくれた。目の前で7寸もある大きな刃が振り回されているのに、まったく怖いと感じなかった。
「山の中では、こうやって紐で腰に巻いて使うけれど、町では当然、車のトランクみたいなところに入れて、人目に付かないようにするよ。銃刀法違反になっちゃうからね」と笑いながら、持ち運び方を教えてくれた。
先端の峰側切り欠きの話から、初めて熊をナガサで倒した話になった。「長年、このナガサを作ってきて、数年前についにナガサで熊をしとめる機会がやってきたんだ。自分のいる稜線のほうへ、熊が登ってくる。自分のいるのは、2帖ほどのテラスになっているところ。そこをめがけて、熊が登ってくる。なぜか、自分の方にやってくる。ちょうど、袋ナガサの柄に長い棒を刺してあって、槍になっていたんだ。これは、本当にチャンスだと思った。」
「熊は腕を頭の上から振り落として、体ごと殴り掛かってくるんだ。そのあと体を起こして、金太郎さんの熊みたいに立ち上がってね、ものすごい速さで立ち上がるんだ。そうして、腕を上から頭めがけて振り下ろしてくる。自分は、体を半身にひねってやると熊が空振りして倒れ込むんだ。かわした、と思ったら、もう立ち上がってこちらを見ている。本当にものすごい速さだよ。それで、また頭をめがけて腕振り下ろしてくる。こんどは逆に半身にかわす。それをね、何度も繰り返すんだ。そんな中でね、自分の右足の付け根の所に槍の尻をくっつけて、固定したんだ。」
「次に熊が腕を振り下ろすとき、熊の心臓の所にナガサの先端をあてがった。熊が倒れ込んで腕を振り下ろしてくるんだけど、ナガサの先端がずぶ、ずぶとね。自分の勢いと重さでナガサが突き刺さって、背中から出てくるのさ。槍は足元で固定してあるから、そのまま突き刺さる。峰の切り欠きのおかげで、まっすぐ心臓を貫いて背中から出てきたんだ。」
「それから、数分たって、ようやく”熊をナガサで仕留めたんだ”と意識が戻って、無線で仲間を呼んだんだ。仲間が来て”西根さん大丈夫か”とすごい顔で心配するんだ。”俺は大丈夫だよ”と答えるんだけれど、仲間が”大丈夫なことあるか。顔が血まみれだ”といわれ、初めて熊の爪が自分の額を切り裂いていたことに気がついたんだ。緊張していたのと、熊の爪があまりにも鋭利だったから気がつかなかったんだな。熊の爪には雑菌がいないのか、その後化膿することもなく傷跡もほとんど残らずに治ったよ。このとき、自信がついたよ。このナガサは、本当に熊を仕留めることができるんだ、ってね。自分で証明できて、とても嬉しかった。」
僕らは林学出身で、森のことに関しては人並み以上の興味がある。そのまま、猟の話になった。「マタギは、山の中を1時間に4kmあるく。普通の人が平地で歩くのとかわらない。こうやってね、腕を胸に組んで歩くと、体が自然に前傾姿勢になって、足が自然に前に出るんだ。これがマタギの山歩きの秘訣。でも、マタギといっても道路を丸一日歩くのはできないよ。地面が固くて、足がもたない。山の柔らかい土の上だから歩けるんだ。」
「マタギの写真では、蓑をかぶっているすがたがあるけれど、今のマタギは使っていない。今はスポーツ用の最高級の服を着ているんだ。真冬でも3枚しか着ない。一番下は赤外線発熱の下着。2枚目は化学繊維の登山用の服。3枚目は、ゴアテックスの薄いジャンパーだ。とにかく、科学の最先端の一番いいのを着るんだ。それで、山の中で一晩でも二晩でも野宿する。温かくないよ。でも寒くない。汗をかかないから、温かくないけれど汗が冷えて寒くもないんだ。それでいて動きやすい。大木の曲がった根元の下に入って風がこなければ、雪の中で野宿しても大丈夫。一度猟に出ると、獲物が出るまで野宿するからね。顔が寒いときは、この布(といいながら、60cm四方程度の布をみせて)かぶる。普段はあごの下で結ぶ。これで耳は寒くない。吹雪のときは、鼻のところで結んで目だけを出す。鷹巣あたりの町に出れば売ってるさ。このへんの農家のおばさんは、みんなこれをかぶってる。」
「俺たちは、基本的にグループで猟をする。でも、一人で猟をする人がいる。松橋さん、あの人はすごい。一人で山に入って、何日も待って熊を仕留めてくるんだ。彼は、歩くのが速い。韋駄天みたいだ。一人で猟に行って、獲物を引っ張ってかえってくる。」
熊は重たいですけれど、どうやって一人で持ってかえってくるんですか?と尋ねると
「往復するのさ。往復して、あと家族にも手伝ってもらって運びおろす。みんな歩きさ」常人には歩くのもままならない雪の中を、何往復もするらしい。
「そういえばきみたち、星野道夫って人を知っているかい?」去年、熊に襲われてなくなりましたね、と返事をした。「彼が死ぬ1ヶ月前に、雑誌の編集者と一緒に彼がここにきてインタビューを受けたんだ。向こうは「野生の熊は、こちらから脅かさないかぎり絶対に人を襲わない」と言うんだけど、「絶対なんか山にはない」といったよ。絶対という言葉は、山には無いんだ。そこでけんか別れしたんだ。腹が立ったから、名刺をこのストーブで燃やしてしまったよ。後日、事務局(編集?)の人が来て、星野さんは取材旅行に行ったが、機会があればまた是非お話ししたいと言っていたと言われたんだ。
編集の人が来てから数日後、ニュースで星野さんがアラスカで熊に襲われたことを知ってね、外へ出て北東の方角へ手を合わせたんだ。あの人は最期の瞬間に何を想ったんだろう、それでも、それでも僕は、野生の動物は人を襲わないと思っているんだと、そんな声が聞こえるようだった。もし君たちが、雑誌の編集者を見つけたら話をさせてくれよ。説得できていたら、彼は死なずにすんだんだ。それが本当に残念だ。アラスカじゃ線香もあげに行けないからねぇ。」
熊の性格の話になった。「女性が、なんで山にはいっちゃいけないか、知ってるかい?山の神様が女性だから、ということになっている。でも、本当の理由は違う。熊だよ。女性の匂いをかぎつけて、熊が襲ってくるんだ。奴らは、女性が弱いことをわかっているんだ。だから、女の人は山にいっちゃいけねぇ。これが本当の理由だ」
「熊はね、人を襲っても留めをささないんだ。生きたまま、はらわたを食べる。少し離れたところの集落で、夕方に畑で人が襲われたんだ。呼び出されて、銃をもっていったんだけど、熊がぐるぐる被害者の周りを回っていて近づけない。狩猟の法律で、日没後は銃を撃ってはいけないんだ。おまわりさんがやってきて、拳銃で撃ったんだけれど、ぜんぜん効かない。熊撃ち用のライフルじゃないと、歯が立たないんだ。だから自分の銃で撃って、助けたいんだけれど法律で撃つことができない。人を助けられない法律なんて、不完全だよ。でも法律があって、いま撃つわけにはいかない。日が昇ってから猟銃で仕留められたけれど、襲われた人はかわいそうに助からなかった。なんで融通がきかないのかね。」
「もし、熊にあったら、とにかく逃げることだ。走って逃げれば、逃げ切れる。死んだふりは通用しないし、木に登ったら熊の方が木登りがうまい。とにかく、子連れの熊にあったりしたらすぐに逃げることだ。走れば逃げ切れるよ。長距離になれば、おいかけてこない。必ず鈴をならしていること、出会ったらすぐに逃げることだね。」
「去年、新しい銃を買ったんだ。ドイツ製の最新型だ。ところが、娘に子供が生まれた。マタギの掟で、子供が生まれた家の人間は1年間、猟に参加してはいけないことになってるんだ。だから猟に出ないでこの仕事場で、無線をきいて連絡役をやっていたんだ。ほら、そこにアンテナがのびている。それでも、やっぱり新しい銃をもっていきたくてね、猟に出たんだよ。勢子の若者に「この谷の本流を詰めていけ」と指示したんだ。稜線の奥には人を配置してあって、熊は一匹。絶対に逃げられない。それで猟をはじめたら、勢子が行き先を間違えた。本流の横にある瀧を、本流と間違えて支流に登っていってしまったんだ。待っても熊がこない。おかしいぞと思ったら、勢子が別の方向にいっていたんだ。彼らも経験があって、まちがえるような素人じゃない。やっぱり、言い伝えどおり子供が生まれたのに猟に出たからこうなったんだ。言い伝えはおろそかにしちゃいけない。たしかに、いまの時代に信じるのは科学的じゃないけれど、やっぱり言い伝えは本当なんだ。だから今年の冬はそれ以来猟に出なかったよ。いまも猟の時期だけど、こうやっておとなしくしている。」と微笑みながら話していた。
「このあいだ、弟子にしてほしいという若者が広島からやってきた。”何年修行するつもりだ?”と聞くと、”2年”という。それじゃだめだといってやったよ。最低5年、この土地で林業をやる。5年仕事をしたら、猟に連れて行ってやる。そこから修行開始だ。2年なんてとんでもない。5年働いて、この土地の人間になったら教えてやるといったら、かえっちゃったよ。」 本当に土地の風習、文化に根付いた道具を作るには、土地の文化をよく知らないといけない、文化を知って猟を知ったときに、この道具を作れるようになる。ということなんだろう。
熊撃ちの話「熊はね、秋には冬眠のために食料を食べあさってあるいているんだ。春は、冬眠から目覚めて食料をさがして歩く。だから猟は初秋と、春にするんだ。真冬は、木のウロにはいって寝ている。でもあいつら、寝ているようだけれど、すぐに起きるんだ。入り口が人間の頭くらいの穴にはいっててね、その穴を探して、出てきたところを撃つ。こんな小さい穴でさ、中に気配がしたもんだから追い出してみたんだ。穴から顔が出てきた。銃を構える間もなく、小さい穴から飛び出してきて、本当にすごい速さだよ、下の方にい逃げていってしまった。びっくりしたよ、こんな小さい穴から大きな熊が出てくるんだ」
熊の交尾の話「ちょうど熊が交尾をしていてね。交尾中なので、撃つ訳にはいかない。でもいたずらしてやろうと、後ろから近づいてみたんだ。ぜんぜん、こちらを気にしない。手がとどくところまで近づいたので、背中の毛をむしってやったら、顔だけくるっと真後ろをむいて吠えたんだ。おどろいて逃げ帰ったよ。」
「国立公園の特別保護区ってあるだろ?あれのおかげで、山には巨大な熊が育ってしまった。200kgもあるのがいるよ。昔は、マタギが狩りをしていたから、そんなに大きくならなかったんだけれど、法律のおかげでこんなに大きい熊が育ってしまった。危ないよ。」
「初めて熊を撃ったときは、本当に怖かった。熊が遠くから、こっちにくるんだ。自分の持ち場のところにくるのかな、と思っていたら、まっすぐ稜線の自分のところに向かってくる。こわくて、早く撃ちたいんだけれど、至近距離から心臓にうちこまないと倒せない。20mくらいまで近づいてきた。なんでわざわざ、人がいるところに向かってくるのかわからないけれど、自分の方に向かってくる。撃ったら、熊が倒れ込んだ。そのまま、その場所を動けないでいると、シカリや仲間がやってきて、祝福してくれた。熊を撃ったら、仕留めた人が生き血を飲むのが習慣なんだ。気持ち悪いけれど、飲んだ。飲んだら、嬉しくてさ。うれしくて忘れられない経験になった。」
僕は、植物学者のなりそこないとして、長く疑問に思っていたことを質問した。「熊はブナの実を食べると聞いていますが、どうやって食べるんですか?皮ごと?それとも剥いて?」「自分も見たことはない。ただし、撃った熊の胃袋を開いたら、ブナの実で真っ白だった。殻は全然はいっていなくて、本当に中身の白い部分しか胃袋に入っていないんだ。だから、たぶんあの舌でなめるようにして集めて、口の中で皮をむいているんじゃないかと思う。直接見たことはない。でも胃袋の中を見る限り、そうとしか思えない」
時間もいい時間になってきた。また話がナガサの使い方に戻った。「ナガサの手許には、何か巻くといいよ。紐とか、藤とか。自分はビニルテープを巻いて色が目立つようにしている。手からすっぽ抜けないためと、万が一おっことしても色ですぐわかるように。あとは古くなったらすぐに巻き直せる」
そして最後に、西根さんはこう言った。「今日話したことは、いずれ本に書くつもりだ。でも社会にでる機会はあんたたち若い人のほうが多いだろう、この話をみんなへ伝えて良いよ」
気がつけば、3時間が経過していた。列車の時間が来てしまった。お礼を言って、住所と電話番号をわたしてきた。「3ヶ月くらいかかるよ」出来上がるのが楽しみだ。僕は今日来た記念に、熊鈴を買った。良い音がするのを選んだ。相方は奇麗な和音の鈴、僕はちょっとトーンの高い音の鈴。
相方は、得難い経験をしたと、非常に喜んでいた。それは僕もおなじこと、相方と思い出深い旅になると同時に、人生ですばらしい人との出会いがあったことに感謝した。
7月になり、そろそろ出来上がるはずだと思っていた。連絡がこないので、不思議に思っていた。出来上がったら、ぜひ再び会いにいきたい、そう思っていた。でも、催促するのも気が引ける。
9月になり、西根さんが7月に亡くなっていたことを知った。相方といっしょに、10月に西根さんの家を再びおとずれた。奥様が出迎えてくださり、故人のお話を伺うことができた。体調をくずし、入院して検査をすることになったが、造影剤を入れたところで薬が体にあわずに亡くなってしまったということだった。健康のために検査をして、検査の薬で命を落とすなんて、なんという皮肉だろうか。
お線香をあげ、半年前にお話を伺った工房で故人への想いにふけった。奥様は「もどってきたら、すぐに仕事ができるように、そのまんまにしてあります。」ハンマーも、ベルトサンダーも、よく手入れがされており、毎日動いているような感覚がした。うちかけのナガサが6本、工房においてあった。このうちの一本は、僕の手許に来るナガサだったのかもしれない。僕のナガサは、半製品のまま工房で主の帰りを待つことになった。
彼から直接伺った話も、本として世に出ること無くなってしまい、僕たちの記憶の中にあるのみだ。相方と僕は、工房の中で西根さんとすごした3時間を思い出し、仏壇に線香をあげた。「本に書くつもり」を果たせなかった西根さん。僕らが聞いた話を、世の中に伝えるのが僕らの義務だと思った。
幸い、弟弟子のかたが阿仁前田で鍛冶をしており、現在は登さんがフクロナガサをつくっている。秘伝の油の調合も、ちゃんと伝わっているそうだ。いま僕の手許にあるのは、弟弟子にあたる登さんの作品。6寸の柄付き(銘:西根登)は相方が持っていて、7寸フクロナガサは自分で使っている。
もしかして、稔さんが最後に道具に魂を吹き込む部分は、僕らのように訪れた人に、マタギの暮らし、道具の意味を伝えることではなかったのだろうか。だとすれば、僕は最後の仕上げを先にしていただいたことになる。
いま、僕の手許には7寸のナガサがあり、山に行くとき、庭で枝を払うとき、いろいろ役にたっている。いつでも手許に置いておきたい道具だ。僕らはマタギではないが、マタギの使い方を習うことでこの道具を身につけてもいいと認めてもらえたのだと信じたい。