最期の晩餐 川弁餐庁

北京での勉強を終えて帰国していく多くの友達を見送ってきた私も、ついに見送られてしまう番になりました。ものすごく寂しい。すこし不便とはいえ、実際の自宅があるのは北京ですから。

私の最期の晩餐は、 私のもっとも愛する四川料理、北京で一番おいしい四川省人民政府直営の川弁餐庁です。参加者は、元同僚の池ちゃん一家、AさんYさん、私でした。池ちゃんの子供が大きくなってて、1年経ったんだなあと思います。私の中国語も進歩して、池ちゃんの奥さんと話すのもほぼ問題ありません。

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料理は、麻婆豆腐 回鍋肉 キャベツ炒め 青菜いため 辣子鶏など、いたって普通の料理。

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これは、私の狙っていた高級スープ。老鶏湯です。一般的な若鶏ではなく、肉の硬い老鶏を使ってます。このスープは深い味わいで、激うまでした。@88元。

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そして、激うま 汁なし担担麺。この麺って、乾麺なのかなあ、小麦の味わいがたまりません。。。

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みんな、ありがとう。。。。

大同の九龍壁、五龍壁、三龍壁

大同の九龍壁は、北京の故宮の規模を凌駕して中国最大だそうです。大同はもともと北魏の都。騎馬民族 突厥の都でありますが、文化的には仏教を取り入れて漢族の文化も吸収し、このような文化遺産が残っています。

これは大同の町の中心部にある、九龍壁。

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壁の横には、太陽と月の紋章があります。

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五龍壁は町の中にありますが、タクシーで夜に通過したので写真は撮れませんでした。

三龍壁は二箇所あります。一箇所は、南の城壁そばにある善化寺境内。ここの龍は、目がぎょろっとしています。

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もうひとつは、雲岡石窟に行く途中にある観音堂。

こちらも、横にはちゃんと太陽と月がありました。

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大陸鉄道の旅 山西を往く

もともと、北京から山西に向かう街道の山一つ向こうは、モンゴルでした。モンゴル軍との長い戦いの歴史がこの路沿いに掘り込まれています。今回は昼間の列車を選択しました。行きは硬座、帰りは硬臥です。

硬座の車内は、こんな感じ。打工(出稼ぎ労働)のおじさんたちが、ふとんをズタ袋に入れて上の棚を占拠してしまいます。

臥鋪(寝台)では、きっぷの検査があって、こんな票と交換します。下車前にきっぷを返してくれます。

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客車はディーゼルですが、貨車は電化されています。こんな重連の機関車が牽引しています。

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長編成の貨物列車は、途中に機関車をはさむような変則的なプッシュプル構成になっていたりします。この貨物列車長かった、おそらく1kmは余裕で超えていたと思います。

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ボギー車の連結部

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山西省の古い村の建物

黄土高原の家は、地面を穿つように作られていると聞いていました。西安にいったときにはそのまんまのものがありましたが、こちら山西ではすこし様子が違います。

狼煙台のある村に来ました。

壁は日干しのレンガみたいです。

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左側の家は、三方を日干し煉瓦でかため、天井に板を張った伝統建築のようです。

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冷たい風をよけるためか、しっかりと家を壁で囲っています。

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入り口のアーチがみえるでしょうか?こんな感じが山西の伝統的な農家の建築様式です。

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モンゴル辺境の防衛線

今回の旅で印象に残ったのは、モンゴルとの戦争の遺跡でした。匈奴軍の侵攻に備え、中国は大規模な防衛線を北京ー大同の間に張りましたが、なにしろ400kmもある長い防衛線です。何度も防衛線を突破されています。

この防衛線の遺跡を見ると、歴史の本を見ていた中学生時代を思い出してしまいます。

高台に築かれた狼煙台 数キロおきに存在します。

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駅亭の跡です。駅亭とは、街道沿いに10里(4km程度)おきに設置された、馬の交換所。早馬はここで馬を交換しながら走ります。また、旅人もここで休憩をします。この駅亭跡はかなり大型の防御機能を持った城塞になっていて、一辺は500mほどありました。中は、村になっています。小さいものは、100mほどの大きさです。

馬車が歩く、昔の風景そのままの景色に大きく感動してしまいました。

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突然ですが、大同にいってきます

本当は、金曜朝に内蒙古に行くはずだったのですが、
申し込んでから「外国人はダメ」と突っ返されてしまいました。いったいどんな理由があるんだろう。。。。CITSも信用なりません。

そんなわけで、突発的に大同行きの切符を買ってしまいました。硬座の27元です。 前回は軟臥だったのに、アップグレードしてしまいました。土曜に戻ってきます。雲崗石窟と、絶壁に張り付く懸空寺をみてきます。

いま、大同のしゃぶしゃぶ鍋を買ってしまおうかと悩み中。工芸品の価値があるのですが、お値段次第です。

白雲観横の激うま餃子と串焼き

褡裢火烧 木浦家常菜

で紹介した餃子屋に、またいってきました。仕事帰りのSさんを拉致、Aさんは勉強のため出席できず。Sさんは「遠いいよー」とかなりお疲れのようす(地下鉄が死ぬほど混んでいた)。ごめんなさい、ここの店を知り合いに紹介しておきたかったんです、遺言として。

柳の木の下で夕暮れの風に吹かれて、ビールを一杯やりながら棒餃子を食べる。これ理想です。店は満席。

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前菜 虎*菜(名前失念 きゅうりとピーマン・香菜の醤油ソース和え冷製)おいしい。口がさっぱりします。

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Sさん「この手羽先、うまっ!」と言ったきり、寡黙になってしまいました。クミンのほかに、辣醤がかかっていて、肉のうまみを引き立てていて本当にうまい。これ、1本4元です。超お徳。

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食べ終わってから、Sさんこっそり「もう一本いこ」と言い出したのは秘密。もはや神田か新橋のガード下にいる感じです。

そして、餃子が来ました。あいかわらず、うまーーーーーー。口に入れると、肉汁がじゅっと出てきます。

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砂鍋丸子 肉団子と白菜のスープ。白菜の甘みが出ていておいしい。肉団子も手作りです。餃子と同じ肉なので、つくりたて。すばらしい。こんな安いスープがこんなにもおいしいなんて。

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となりのテーブルで、巨大な肉の串を食べはじめました。店員に「あれはなんだ」と聞くと、「羊の脚」といいます。「一本よろしく」と頼んでしまいました。出てきたのは豪快な羊のすね焼き。ぜんぜんくさくなくておいしい、日本で食べたら1500円くらい取られそうですが、こっちでは5元です。約500円の感覚。

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留学の最後に、思い出の店に行くことができて幸せです。ほんとうはみんなで行きたかったけれど、留学仲間のみなさん、Sさんに連れて行ってもらってください。場所は、白雲路、白雲観のT字交差点横、バス停すぐそばです。

素敵な湯のみ

宣化の戦利品です。素敵なフォルムで、薄手の非常に軽い逸品です。青磁の釉薬がかかっています。

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光をかざすと透けて見えます。ここまで薄く出来るのは、土の質がいいのと、熟練工が削っているから。いったい、何のために作られた茶碗でしょうか。すくなくとも普通の茶碗には見えません。

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724と、数字が入ってるあたりが共産中国っぽいです。すこしは色気を出せばいいんだけど、当時の価値観ですからね。裏さえ見なければ、一級品です。

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おまけ、秋の雰囲気の筆立て。これは民国のものだそうですが、風合いと手書きの絵が実に素敵です。

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今日の獲物

お土産と荷物整理が最近の仕事です。ここにきて、飛び込みで「これ買ってきて」と言われるので、発送するのが大変。。。。いきなり荷物が増えました。

で、今日は家から近くの、大鐘寺骨董市場を見て回ります。 親に言われていて探していた茶道の道具が見つかってしまいました。値段も暴利ではなかったので、とりあえず買ってしまったのですが、これ、帰国のときに荷物大変だよ(割れ物)

造形も色もパーフェクト、大きめのほつれが一箇所あるので、漆で埋めなければいけません。わけありなので、手の届く値段になりました。

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あとは、2000円ほどでちび茶壷をひとつ。これは売り飛ばせば1万円くらいになるはず。

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ここで、茶壷屋の主人と仲良くなりました。話せるとやっぱり違います。日本では、いいものでも京都の骨董市なら7000円くらいで買えるというと、驚いていました。すこし古いいいものの相場は、業者の仕入れでも2000元、3万円くらいだそうです。彼は私を試そうとしたのか、豪華なつくり(でも、粗悪品)を出してきて「こんなのか?」と言ってきたので、「これはゴミだ」と言ったら、私の目力に納得していました。

若手高級美術師の作品店を入り口でやっていて、「見たか?」と聞かれ「みた、全部現代デザインで、合格はひとつだけだ。」と言ったら、笑っていました。彼が私に見せてくれたのは、外交部が外国の賓客に渡すために作った茶壷。土と造形はいいけど、ちょっと重いし、なにしろ値段はおそらく数千元といわれそうなので、見送ってきました。30年前の中国製としてはすばらしい出来でしたが、100年前の民国の品物と比べるべくもなく。。。。といったところです。