10年前からずっと仕事に追い回されてきて、命があぶないと思うところまで行った事も数回ありました。転機は一昨年の留学だったと思います。これも猪突猛進の力で行ってきた訳です。
かつてはいろいろな人の苦しみや不条理、調整しきれない部分などをうまくまとめるのが仕事の醍醐味だと思っていました。いってみれば仕事中毒だったのです。
ちょうど私の席の側に、鬼軍曹のような年上の方が居ます。腕はたしかに凄腕、でも仕事にかっこよさを求めていてちょっと視野が狭いかもしれないと思っていたので、距離を置いていました。どうもこちらの力を使いたかったようだったのですが丁重にお断りしました。そうしたら少し恨みを買ったようです。すでに他にもパワハラ事件で訴えられている人ではあるのですが。
でも私は彼を許します。それは数年前の自分に近いものを感じたからで、たぶん何年か後に気づく事があるのではないかと思います。そして久しく練習していなかった太極拳の放鬆(ファンソン)という言葉を同時に思い出したのでした。
太極拳を習っていた頃、老師に毎日数十回「放鬆しなさい」と言われました。動作もおぼつかない状態なので筋肉がこわばってしまうのは自分でもわかります。今思うと、放鬆を意識してできるようになるまで練習して体で覚えなさいということだったのかもしれません。
そして、放鬆とは辞書を引くとリラックスするという翻訳になってます。太極拳の本では「十分にリラックスし、丹田(へそのあたり)に十分に気を集中した状態」と解説されています。理由は、大きい力を出す場合には緊張状態からでは無理で、十分に筋肉のストロークや血液の余裕がある状態に置くべきだからです。
これって実生活でもそうなんじゃないかなと思います。技術を極めた彼に足りないのは放鬆で、ほぼ全力の状態が続いていて(じつはこの状態が非常に良いと思ってしまっている)、へろへろになって本来の力を出し切れていない状態なのです。一つの事に凝り固まって緊張状態になると、最大の力を出すにはほど遠くなるんだなと思いました。
なにごとも、ある程度到達したら今の状態から積極的に離れてみることが必要なのではないかと思います。そのままでは動きに無駄があったかもしれません。私は最初の就職からかけ離れた事をしておりますが、あのまま続けていたときの自分を想像すると現状に感謝しています。力有名でなくても世間から認められる職業職場でなくてもかまいません。自分の心を放鬆させておおらかになり、結果大きな力が出るのが自分でもわかります。
さて、スポーツの面からみる放鬆とはどういうことかと言うと、主に以下二点になると思います。
最大の能力を出すために
- 筋肉のストロークの余裕を常に確保すること
- 筋肉に供給する血液、リンパ液等の貯蓄を常に行い、急激なピーク供給に備える事
人体の動きは内部圧力と応力でできていて、合計値は一定です。同一であれば力の集中運用ができることが結果的には高い能力を示します。大切な血液が腕ではなく全身の筋肉に行ってて、いざ発力(發勁)というときに足りないのは困るわけです。
短期的にみれば血液や筋肉ですが、練習時間と負荷に対しても当てはまると思います。
もちろんトップを目指すアスリートは試合での最大効率を目指して結果を残さなければいけない訳ですが、どこにピークを置くかで練習も違ってくるかなと思います。マラソン選手なんかはかなり短命ですよね。
中国伝統拳は治安の悪い世界で身を守る純粋な戦闘技術として発展してきたものです。太極拳など中国伝統拳の老師にはじじいなのに鬼のように強いという人もいるわけで、彼らの練習に対する要求は一生の期間の最良効率で考えられて伝世してきているのです。
すくなくとも、長く生きていくための仕事においては太極拳の放鬆,そして立身中正を意識していくのがいいかなと思い、自席の前に一筆認めました。貼られたポストイットを見て、だれかが意味を聞いてくれるのを待っています。