生きにくい世の中です。どん底不景気に大学を出て、ようやく結婚できるくらいの経済基盤ができるのに10年かかりました。そう思えば歴史市場最大の経済崩壊がやってきました。知らず知らずのうちにずいぶん打たれづよくなりました

最初は納戸に住んでいた私ですが、最近は前よりすこし広くなった部屋の中でぼーっと考え事をしています。このブログを見ている人は、特に親しい人を除いて僕がとても身分不相応な暮らしをしているのではないかと誤解しているかもしれないと思っています。

実家を出て買い揃えた生活用品の多くは手放してしまいました。最初は経済的な理由で安いものを買ったのですが、使い勝手などを考えると「なるほど安いというのはこういうことか」と思いました。

値段に引き合う範囲で使い手への愛を感じるものだけを残したら、残ったのは結局古いものたちでした。父のお下がりの英国製コート、友人の父上の作った時代物の食器、明治時代の箪笥、真空管アンプなど、数十年前のものばかりです。これはアンティークが趣味というわけではなく、必然的にそうなっただけです。

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食べ物にしても10年前はささやかにブーム黎明期のラーメン食べ歩きなどをしていましたが、今では豪華な食事会におよばれするようになりました。

でも、普段はスーパーの半額の品を狙って昼も自作のお弁当をつついています。一流レストランのまかないと比較すべきではありませんが、同様においしいけれども決して贅沢はしていません。しいて言えば、材料の切り方をそろえて火のとおり加減に気をつけること。化学調味料にたよらない味付けをすること。これで月2万は浮きます。

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着るものだって手作りのオーダーですが、中国製です。値段は日本のつるし売りの四分の一です。自分の一手間を惜しまず、お金がまじめな作り手に届くように意識をしていたら、最近はなぜかお金が貯まるようになってきました。目先のことにとらわれない一見回り道に見えるルートが実は近道だったのかもしれません。

僕が物を買う條件は、今あるものよりもいいものしか買わない。新しいものを買ったら前のものは手放す。そして、壊れたりしない限り長く使い続けられる物を選ぶことです。

僕の願いは、傷やしみも含めて彼らと一緒に老いていくことです。という僕の価値観を彼女に話す機会が欲しかったのですが、話すチャンスがめぐってくる前にまた一人になってしまいました。何か吐き出しておきたくてここに記しておきます。

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