坦克博物館(タンク博物館)

imgp3720.JPG今日は真っ青に晴れました。この日を待っていました。坦克博物館に、戦車を見に行きます。五道口からは、龍澤まで軽軌鉄道で3駅。そこからバスに乗り換えです。1時間半弱で到着します。バスは小バスなので、かなり不安です。喋れないと絶対に乗れません。気分はもはや、NHKスペシャルの中国旅行です。

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場所は、北京の北西、航空写真はここです。このあたりは軍の施設が並んでいます。 博物館の裏側は演習場になってるっぽいです。

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第二次大戦中のT34/85です。

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ここは旧ソ連製自走砲の展示室。Su-100 Su-122 Su-152などが並びます。
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SU-122の前部です。超不気味。こいつらにはアドバンスド大戦略で散々なやまされました。最近の戦車よりも、はるかに不気味で存在感があります。

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SU-152です。大口径ですが、砲身は少し短めです。

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こちらは、アメリカ製水陸両用戦車 たしか、ダックと呼ばれていた奴です。

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またまたJSUシリーズなど。
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これは、80年代の風暴-1型。

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これは珍品。国民党から分捕った米国製M5A1軽戦車だそうです。

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エンジンや砲身も転がってます。射撃場もありましたが、強風のため?お休み。ちょっと脱力系の博物館でした。同志諸君は大変ヒマそう。しかし、この街道沿いの軍事施設を見る限り、中国軍の力はすごいです。
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雪の大覚寺

北京の北西部に、大覚寺という有名な古刹があります。今日、昼前に目が覚めたら雪が積もってました。これは雪景色の最後のチャンス、円明園か、大覚寺に行こう!ということで、まず目やにで開かなくなった目を湯で溶かし、ごはんを食べて出発です。さすがに雪が降るくらいなので、寒いです。喉の調子は、ちょっと痛い。

バスで1時間半以上かかりました。もともとロードレーサーで来ようと思っていたコースなのですが、路面が悪すぎてダメです。

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境内には、宿坊、レストラン(紹興)、茶芸館があります。モクレンが綺麗だそうです。モクレンの咲くころに、再度来ましょう。
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木の樹皮にも表情があって、なかなか面白いです。

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大覚寺山門下には、大覚寺という名前の駅もあります。1日何本、列車が止まるのかわかりませんが。

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農村のわんこたち。とってもかわいかったです。2匹とも、カメラの音に驚いてしまいましたが。

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真っ白な果樹園と雪山の景色が綺麗でした。しかし、雪の上を渡る風は本当に冷たい。かぜっぴきの体にはちょっとこたえましたよ。
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北海公園

風邪で静養のため、旧正月前に行った北海公園北東側を紹介。

后海西側を散策した後、 いままで素通りしていた北海公園にやってきました。

庭園としてのつくりは、頤和園よりもはるかに良かったです。建物も変な色づけが比較的少ない気がします。

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建物の配置に立体感があって、すごくいい感じです。

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九龍壁です。故宮の九龍壁は特別料金を取られるので、こっちのほうがいい気がします。

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おじいさんが、水で地面に書道をしていました。中国では「門」構えの書き順が日本と違うのですが、おじいさんは日本と同じ方法で書いていました。書道の書き順は同じなんでしょう。中国の国家が定める書き順は、筆遣いの原則から言って、ちょっとおかしいなと思うことがあります。

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今年は金のブタ年です。
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氷は解けてしまいましたが、なかなかいい景色でした。これより広いと、歩くの大変ですよ。

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北京南駅

今日は、友人が出るというテレビを録画するため、13時までスタンバイ。ところが、肝心のシーンで知り合いは全く写らず(苦笑)。録画ファイルを送りつけて、今日の街歩きに出発しました。

最初は天橋にいきます。 下町として歴史文学でも有名な場所ですが、完全に再開発されていて昔の雰囲気は残っておらず。あきらめました。友誼病院を見つけました。ここは教科書にも出てくる有名な病院です。自転車で行く話しなのですが、ここまで人民チャリで来るのはけっこう大変だぞ。。。

涿州いきバス乗り場も見つけました。桃の花が咲く頃に輪行します。

さて、目の前を102バスが通ったので、思わず飛び乗ります。最近、どこに行くにもバスを乗り継げるようになりました。主要バスの交差ポイントがわかったので、どこに行ってもとにかく帰ってくるには前門とか動物園の主要交差路に出ればいいことがわかりました。時間かかりますけど。

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この殺伐さに、しびれます。北京に来て以来、こんな殺風景な場所に来たことがありません。

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駅前ですが、露天のビリヤード。室内のビリヤード台からの玉の音が響いていました。
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この駅前には、法律相談の看板をかかげた人がいっぱいいます。露天で法律相談をやってます。地方からやってきた出稼ぎ労働者の恨みがよどんでいるような気がしました。

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これは出稼ぎ労働者が自分の携帯電話番号を壁に書いている図です。この電話番号が、彼らの唯一の仕事の口です。人をあつめるときは、この番号に電話して人足をあつめるわけです。北京の建設ラッシュは、このような出稼ぎ(民工)に支えられています。

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友人劉くんおすすめスポットにやってきました。鉄道を撮るならここだそうです。ところが、踏み切りは閉鎖されていました。北京南駅を北京上海高速鉄道の起点にするため、大規模工事をしています。行き止まりになった一角は、人糞が散乱する殺伐地帯です。みんな俺をみている、かなりヤバイ。
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部屋の中からアツい視線を送ってくるお姉さんがいる、抜き系の床屋が多くて、かなりしびれました。 ここは必ず見るべき、もうひとつの北京の姿です。

中国地質博物館

今日も寝過ごしてしまいました。私の部屋は日当たりが悪く、一切ひがさしません。さらに今日もどんより天気。天気がよければ鉄道博物館でしたが、今日は地質博物館でまったりすることにしました。

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中国でロードクロサイトが取れるとはしりませんでした。ま、たしかにうち蒙古とかウイグルにいけばありそうです。

中国って広いなぁと思います。こんなにいっぱい鉱物が取れるんですね。石マニアにはたまらないものがあります。この手の標本を売ってる店が見つからないんですけど。

毎回、無駄に広いことに立腹しているのですが、かなり大きい標本がごろごろしているので今回は満足です。でかいの万歳。

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うむ、でかい。満足です。単眼鏡で表面をじっくり見ていたら、警備員が怪しんで?近づいてきました。どうだ、ホンモノのマニアとはこういうものだと胸を張って観察を続けます。

その後警備員は、他の展示でボタンを押して遊んでいました。あまりにもヒマな仕事ですからね。同情してしまいます。

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今日の微妙に腹の立つ一枚。尖閣諸島。

今回、なぜ中国が日本海を東海と書かないかの理由がわかりました。東シナ海が東海だからです。韓国は、東シナ海を「西海」に改名する提案をしなければいけません(笑)。

博物館近辺は、宝石屋が多く集まります。お金があれば、ショッピングも楽しいと思います。

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護国寺近辺 胡同散歩

お腹も落ち着いたので、散歩開始です。このあたりは北京の北西部。良い感じの胡同が残っています。

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書道用品のお店がありました。時間があればもう一度書道をのんびり学びたいものです。退職したら、杭州で1年くらい書道三昧の生活なんてできないものでしょうか。

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ここは宮廷料理人の潭一族の末裔が営むという潭園醤肉というお店。今日は残念ながらお休みでした。伝統の手法で作った肉料理のテイクアウトの店だそうです。

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北京師範大学の旧校舎にやってきました。とても素敵な建物です。

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このあたりは綺麗になりすぎている感もありますが、このウイグル料理屋の看板は安っぽくなくて気に入りました。
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立派なお屋敷の入り口です。もとは。今は数軒の民家になっているようです。かつて共産政府は北京の人口増に対応するため、ひとつの四合院に何家族もすまわせる政策をとったそうです。それでも足りず、ソ連式のアパートを作るようになったとか。私の住んでいたアパートも80年代製のソビエト式三角アパートでした。
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新街口の通りに戻ってきました。この仏舎利塔がとても素敵なのですが、お寺としての機能は残ってなさそうです。

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新街口-西四-阜成門

そろそろ、休みもおしまいです。学校が始まります。とても楽しみなのですが、折り返し点を過ぎたということでちょっと寂しい気持ちと、半分まできたのに言葉で苦しんでいるギャップに苦しみます。

昔の同僚の中国人の人たちは、「お前うまくなった」と大変ほめてくれるのですが、ネイティブスピードだと全く聞き取れない自分がここにいます。

さて、今日も元気に散歩に出かけます。今日は空白地帯だった新街口から西四エリアです。本当は輪行袋を買いに行ったのですが、日本と値段が同じでTopekの取っ手なしのタイプだったので、今日は諦めました。日本から送ってもらうことにします。

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街角の自転車修理屋。こっちの自転車は本当によく壊れます。でも簡単に治るので皆さん気にしていません。命を預けるには、かなり怖いですけどね。

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ウイグル族の少年。漢族とは明らかに違います。そばにいた父親が「息子を撮れ」といってくれたので、パチリ。良い表情です。

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道路整備であちこちぶっ壊しています。この家は最後まで抵抗して住んでいます。壁の構造が良くわかる1枚です。

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おそらく戦前の建物を見つけました。この洋館のスタイルは、日本人が好んだタイプみたいです。洋風の柱があるでしょう?

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中は、木造の階段がありました。一階は事務所 2回は住居として使われているようでした。

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これは民家です。お寺の名前が書いてありますが、右側に入り口があって中は民家が密集しています。戦前の北京はお寺がいっぱいあったのでしょうが、現在は大変ぞんざいな扱いを受けています。

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胡同を歩くと、ちょうど鳩が飛んでいました。

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西四の交差点から一条北に行った胡同の中に、四合院造りのホテルが出来ていました。こういう古い中国の雰囲気を生かしたホテルがいくつか出来始めています。少し庶民の暮らしからは離れますが、文化保護的には大変よい傾向だと思います。

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この西四の新華書店は、私のお気に入りです。この風格は他にありません。中は普通の本屋ですが、いつまでもこの雰囲気を残して欲しいところです。

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西四の交差点を西方向に向かいます。みつけた甘栗屋。屋根の装飾がすばらしいです。花鳥風月が彫り込んであります。栗のお味は、まあまあです。前回の西安門の美栗郷には及びませんが、見た目で100点です。

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商店街に入りました。ここでトマトとマッシュルームを購入。

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イスラム系の肉屋です。おじいさんが店番をしていました。

今日は阜成門に出てバスで帰宅です。博物館やお寺は、閉館時間で全く見れませんでした。明日再チャレンジしようと思います。

爨底下村紀行(2)

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何もすることがないのと、部屋の暖かさに釣られて、いきなり寝てしまいました。夜中はいびきのため眠れませんでしたが、朝五時ごろから熟睡できて、ようやく体力回復です。次回はイビキをかかない可愛いヨメさんと行きたい。。。。男の旅行は大変です。

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まず、村の全体を見るべく、村の反対側にある階段を上りました。山の中腹から見る村は、こんな感じです。

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村の中を歩きました。30分もあれば回れる小さな村です。写真を撮るなら、一泊して早朝がお勧め。観光客が動き出すと、全然雰囲気が違ってしまいます。
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文革時代のスローガンが、あちこちに書かれています。

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文革時代に破壊されたという関帝廟も復元されていました。観光で現金収入が出来たためだと思います。共産政権が無かったら、どんな中国の文化が残っていたのでしょうか。歴史好きからすると、非常に残念です。
imgp3505.jpg最後に、廟から村を一望してみました。本当に素敵な景色です。オリンピックのころには、外国人が押し寄せて有名になってしまうのでしょうが、今来て本当によかった。冬の景色のほうがこの村には似合っている気がします。夏にはもう一度、日帰りで来ようと思います。
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爨底下村紀行(1)

北京中心部から西へ80kmほどの、爨底下村に行ってきました。明 清の時代の村が残っています。中国歴史マニアには堪らない雰囲気です。簡字体を使う現在では「川 cuan」の字を当てていますが、本来は「爨」かまど の漢字だそうです。現地のガイドブックには載っていますが、日本では漸く紹介され始めたばかりです。

地下鉄 苹果園駅から白タクで150元、1時間半ほどで到着します。 白タクの運ちゃんの運転が荒く、かなり恐ろしい思いをしました。白タクは白タクなので、あまり態度がよくありません。

ロードバイクで国道109号を走る外国人が居ました。少し行くと、ものすごい坂道になってます。よく走ってきたなと、かなり尊敬してしまいました。

村についてから、村落を散策する前に村のはずれにある、峠に行ってみました。

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非文明な観光客が車をどどんと置いていきやがるので、写真を撮るのに難儀しました。 西遊記でも、三国志でもどんと来い!という景色です。
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峠を抜けると、また山でしたが山肌にへばりつくように畑が作ってあります。このあたりは岩山で、石を組んで段々畑をつくっています。ほとんど岩が露出している地形なので、この土地改良は想像できないほど大変だったはずです。
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真ん中に見える、大きな穴のあたりまで遊歩道らしきものが伸びていたので、いってみることにしました。実際には遊歩道ではなく、作業道でした。崩落箇所もあり、観光客にはちょっと危険な感じです。おそらく、観光用にしようとしたのでしょうが、断念したのではないかと。 断崖絶壁に這うように作られた道でした。
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遠くの谷底に村が見えます。本当に耕地の少ない場所です。宿場町や石炭関で賑わった街だそうです。

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山羊飼いのおじさんがいました。こちらの山羊は毛足が長く、とても価値の高い毛皮が取れそうな感じでした。

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地質は、堆積岩です。主に泥岩でした。巨大な力がかかって褶曲構造を見ることが出来ます。相当の圧力を受けているらしく、ブロック状に崩れています。山はかなり切り立っていますが、片面は地層の表面になるので、本当にまっ平らで土の溜まる場所がありません。

右から、ぐにゃりと曲がった地層が見えるでしょうか。

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本日泊まるのは、四合院の民家です。2部屋借りて100元。ちょっとぼられた気がしますが、1人500円なので良しとします。若き日の劉備元徳が母と一緒に暮らしながら筵を織っているような家で、大満足です。中は温水暖房が入っているので暖かく、特に問題ありませんでした。同学のイビキで、ほとんど眠れなかった以外は。。。。

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晩飯は、羊のいためもの、白菜炒め、焼餅、酸辣湯、ビール2本。朝食ふくめて70元でした。内容のわりに微妙に割高ではありますが、まあまあといったところでしょう。
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世貿天階のZARA

北京で一番困ることといえば、洋服です。すこしはマシになったとはいえ、町にあるのは韓国のデザインの服ばかりです。若者文化は韓国を向いているので仕方ありませんが、かなり野暮ったいものです。

女の子の服は、チャイナっぽいものを着れば可愛く見えるのですが、男は悲惨の極地です。こちらでは、男性が外見に気を使うなんて文化はまだまだ育ってないので、チャイニーズマフィアみたいなカッコの服を着る羽目になってしまいます。

永安里に、 世貿天階というショッピングモールがあります。まだ出来たばかりでガラガラなのですが、日本で言えば六本木ヒルズ的なものを目指している感じです。目印は、巨大な屋根。中に発光ダイオードの映写装置が仕込んであります。天井に巨大な魚が泳ぐ景色は圧巻でした。

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ZARAという店が入っていました。日本にもあるそうです。私はこの方面には疎いので、ぜんぜん知りませんでした。品揃えは大変よろしく、女の子がちゃんと女の子に見える服を売っています。これは北京ではすごいことです。値札を見ると、そのままユーロの値札の上から値札を貼っていたりもします。生産地は中国のものは少なく、スペイン、ポルトガル、チュニジア、ビルマ、カンボジアなど各国で生産されているものを持ってきているようです。

値段も日本に比べて安いと思います。日本に持って帰っても着れるものを買うのであれば、ぜひここに来るべきだと思いました。びっくりです。
他にも、かわいい服を扱う店や、まともな下着屋さんなど中国では入手しにくいものを扱う店が入っていて、一緒に行った同学の女の子は「ようやく下着を買える場所を見つけた」と安堵していました。
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